無意識さんとともに

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黎明〜鬱からの回復 4 メール

しばらくして、メールボックスを覗いてみると、勧誘やら宣伝やらのメールに紛れ込んで、見知らぬ名前の1通のメールが入っていた。

タイトルに、大江光ですとある。

開けてみると、私の祈りの依頼に答えて来たものだった。

「神様の御名を賛美します。

私は、三重県に住むクリスチャンです。

智昭兄弟のお祈りの依頼を、掲示板で読ませていただきました。

どうぞ、私に祈らせていただけないでしょうか?

大江光

何歳なのか、そして、光という名前からは男性なのか女性なのかもわからなかったが、私は祈って欲しかったので、とにかく返事が来たことがうれしかった。

それで、返事をすぐさま書いた。

「光様

祈ってくださるとのこと、本当にうれしいです。

何を祈ってほしいかというと、母のことです。

私は小さな頃から母との問題を抱えて来ました。

母は過干渉です。

思い出すのは、まだ幼稚園にもあがらない自分が、私の服を買うためという理由で、3日間、毎日7時間ぐらい、連れ回されたことです。

途中で、私が『これを欲しい』と言っても、母は耳を貸さずに、山のようなダメ出しをしてきて、決して私の欲しいものを買ってはくれないのです。

母は、私の着たいものではなく、自分が私に着せたいものを探して、えんえんと私を連れ回すのです。

そうして、ついに買ったものは、茶色のタートルネックのセーターでした。

母は私にそれを着せて満足気でしたが、幼い私は、母がいない留守の間に、そのセーターをハサミでばらばらに切り刻んでしまったことを覚えています。

もうひとつは、母は過干渉でありながらも、ネグレクトでもあります。

三食、まともな食事が食卓に上ったことはなく、思い出すのは、幼い時には私は緑と白の入り混じったマーブル模様の円筒形の大きな缶を持たされていました。

その缶の中には、ビスケットやチョコレートやお煎餅が入っていて、私はご飯がわりにそれらを食べていたのです。

『小さな頃は、本当におとなしくて可愛かったのよ。何も言わないで、いつも缶の中にあるお菓子を黙って食べていてくれて、手がかからなかったんだから。ああ、あの時の坊やに戻って欲しいわ』

そんなふうに、母はため息をついて言うのです。

もちろん、私も物心がつくと、ただおとなしくそうされていることなどあり得ませんでした。

特に思春期になると、反抗して暴れたり暴言を吐いたり、母とはずっと戦争状態のままです。

けれど、いつも、そんな自分に罪悪感があって消えないのです。
この罪悪感から逃れようと、教会に行って洗礼を受けクリスチャンになりましたが、同じことを繰り返すのです。

『神様、こんな罪人の私を赦してください』と祈り、確かに自分の罪は赦されたと確信し、もう自分は前の自分ではないと思って家に帰ります。

でも、母はそんな自分の心に怒らざるを得ないような言葉の爆弾を投げ込んでくるのです。

最初は、黙って聞き流すことができるのですが、そのうち、耐えられなくなって、つい言い返してしまいます。

そうすると、母は、『ほれ、見ろ。変わったとかフリをしても全然、変わっていないじゃないか』

私はついに怒りを爆発させてしまいます。

そうして、その後は、せっかく新しくなったと思った自分の状態を何もかもぶち壊してしまったことを悔やみ、自分の罪深さに心沈んでいくのです。

どうか、こんな罪人の私のために祈って助けてください」