自分の心境の変化について、もう少し書いておきたいと思います。
O先生に「催眠を極めてみたら?」と言われて、もうすでにO先生の臨床催眠講座は受けているわけだから一体どういう意味なのかなと思ったんです。
普通なら、「この講座以外に催眠を極めるってどういう意味ですか?」と聞くところなんでしょうけれど、私は、O先生のこの言葉自体を、一種の催眠として、あるいは、禅宗の公案のようなものとして受け取るのがふさわしい気がしてそれ以上尋ねることをしませんでした。
それで、催眠という名のつくものは何でも見てみようという気になりました。
けれども、その時に、自分の心の狭さというものが引っかかって自由に動けない感じがしたんです。
他の催眠に触れると、頭の中で、『これは、エリクソニアン催眠や現代催眠とは違う』と思ってしまって、嫌な気持ちになってしまいます。
最初は、この嫌な気持ちが正しい、自分を守ってくれているのではないかとさえ、思ってしまいました。
そうして、心に聞いていった時に、それは鎧であって今まで自分を守ってくれたものであったけれども、これからたとえ肌がヒリヒリすることがあっても自由に歩んでいくためにはもう鎧は脱ぎ捨てる時が来ているのだとわかりました。
そうして、さらに色々と調べていって、催眠の中に前世療法というものがあるのを知りました。
これはさらに、私の中に抵抗を引き起こしました。
なぜなら、前世というものを信じていないだけではなく、前世療法というものが私が嫌悪感を催すスピリチュアルそのもののような気がしたからです。
けれど、何度確かめても、心はGOというのです。
それで、嫌悪感を感じながら、前世療法の本を読み、さらにはセルフで前世療法をやってみました。
最初は、私は、砂漠をローブのような服を身につけて、首から木の十字架を下げて歩いていました。髪は長髪で黒く、歳は30ぐらいです。イタリヤ人の顔立ちです。
隣に白いウェディングドレスみたいなレースの服を着た長い金髪の女性がいて、一緒に歩いています。
私には、その女性が今の妻だとわかりました。
私たちは、石造りの家に着いて、その中に入りました。
現在の年を自問自答すると、1468年と出てきました。
次もセルフで前世療法をやってみたのですが、今度はテーマを決めてやってみました。
私自身は、宗教、占い、スピリチュアル、オカルト、霊能力などに激しい嫌悪感を持っているので、そのテーマにしました。
すると、セルフで催眠に入っていくと、私は長崎のキリシタンの家に生まれた子供でした。
近所のおかっぱの女の子と小さな頃から仲良しでしたが、その女の子の家は占いを生業にしていたのです。
私が15歳ぐらいになった頃、どういうわけか、自分の家と日本人のキリシタン指導者、そして他のキリシタンの仲間が密告されて、踏み絵を踏むことになりました。
どうやら、その密告は女の子の親である占い師によってなされたもののようでした。
ところが、私の家以外の、キリシタン指導者やキリシタン仲間も皆、踏み絵を踏み、私の家だけが踏み絵を拒絶したのです。
私と家族は海のなかの十字架状の丸太に両手をくくりつけられました。
満潮になると潮が満ちてきます。
私は、自分を密告した占い師、私たち家族を見捨てたキリシタン指導者、キリシタン仲間、そして、踏み絵を踏んでまで信仰を貫き通したのに、いくら祈っても助けてくれない神を呪ったのです。
私が息を引き取ると、明るい光の中にのぼっていって、そこである人に会いました。
その人は私に語りました。
「あなたは、今の人生でも同じことを繰り返しているのかもしれない。
けれど、知識はあなたを解放する。
あなたが過去の人生において起きていることを知って、それと同じことが今の人生でも起きていることに気づけば、あなたはその縄目から解き放たれるだろう」
催眠から覚醒して、気がつくと、宗教、占い、スピリチュアル、オカルト、霊能力などに対する激しい嫌悪感がきれいさっぱりなくなっていました。
自分の心の狭さが打ち破られたようなそんな感じがしています。
しかし、私が前世を信じるようになったかというとそうではありません。
前世はあるかもしれないし、ないかもしれないと思っています。
けれど、前世療法は、私の心が私自身に語りかける一つのメタファー、物語として、私には意味があったのです。
この後、私は今度は、セルフではなく、セラピストに前世療法を受けてみたのですが、そのことについては、機会があれば、また今度、書くことにします。