無意識さんとともに

https://stand.fm/channels/62a48c250984f586c2626e10

催眠の現象学8 前世療法⑵

その後、私は、千春さんというセラピストの方にZOOMで前世療法をやっていただきました。

千春さんにお願いしたのは、2回目にセルフでやったときに、千春さんのYoutubeとスタエフを利用させていただいたからです。
自分も催眠をやっているのでわかるのですが、催眠導入は、声のトーンや間の取り方などが大切になってきます。
千春さんの催眠導入は、私が購入していた有名な人のCDよりも、はるかにうまいと感じられました。

https://www.youtube.com/watch?v=OzXD6lgFSIs

https://stand.fm/episodes/6428db8ab8148067d0d6f88c

尋ねられて設定したテーマは自己犠牲でした。

私は、気がつくと、当たり前のように自己犠牲をしてしまうのです。
そうしてどうやってもなかなか自己犠牲がやめられないという、そのことでした。

千春さんの心地よい催眠導入で、自分の前世へと入っていきます。

そこで、見たのは、パイプを口にくわえてロッキングチェアに揺られる70歳ぐらいの老人の姿です。

そして、近くには、麦わら帽子を被った赤毛のアンのような女の子がいます。
二人は、何だか、とても幸せのようです。

どうやら、私はその老人で、妻と実の娘をとうの昔に亡くしてしまい、今近くにいるのは、養女ということです。

家の裏には、森が見えていて、秋なのか、紅葉し、空は真っ青です。

私は足が悪いのか、杖をついています。
買い物は、その女の子がしてくれているようです。

町は、白い石でできた四角い平屋の建物が立ち並び、向こうには海が見えます。
女性は、原色の服を身にまとい、果物を入れたカゴを頭に乗せて行商しています。

私と養女は、異国の地からここに引っ越してきたらしいのです。

その日も、娘は買い物に出かけました。

ところが、いくら待っても、帰ってきません。

私は胸騒ぎに駆られて、杖をついて町を探し回りました。
けれど、いくら探しても見つかりません。

日が暮れ、次の日になり、1週間が過ぎ、数年が過ぎても、娘は戻ってきません。

それでも、私は娘に会うことを諦めることができませんでした。

私は娘を待ちながら、町に降りて行き、孤児院を始めることにしました。
多くの子どもたちを引き取りましたが、そこに私の娘を見つけることはできませんでした。
それでも、私は、子どもたちを自分の娘だと思って育てたのです。

時が経ち、私は病気になり、死が近づいてきました。

私のベッドの周りには、孤児院の男の子たち、女の子たちが集まってくれていました。

私は、その子たちの顔の中に、亡くなった妻、娘、そして養女の顔が見えるそんな気がしてなりませんでした。

私は、子どもたちに囲まれ、最後の息を引き取りました。

すると、私は、本がびっしり詰め込まれた、天井までの書棚に4面囲まれた巨大な図書館にいました。
床は大理石でできています。

その大理石の床の上に、私は身を横たえているのです。

向こうの方に、大きな長い立派なテーブルがあり、そこには長いひげを生やした老人が7人にいて、蔵書整理をしているようです。

老人が私の方にやってきて、私は老人と話をしました。

老人の声は腹に響くような声でした。

(私は何人かの老人と話し、いろいろなことを語ったようですが、ここでは一番印象的なことだけ書いておきます)

ひとりの老人は私に言ったのです。

「お前さんは、自己犠牲ということを気にしているようじゃが、そもそも自己犠牲なんていうものはないのじゃよ」

「人は、果てしなく生まれ変わり、星の数ほどの人生を送る」

「その人生の中で、必ず、願いはかなうのじゃから」

「ほら、もう一度会いたいとあれほど涙を流して求めたあの養女が、今はお前のそばにいるであろう」
(どうやら、現在の歳の離れた妻のことを言っているようです)

その後、私は、違う老人とも話をし、最後に、7人の老人たちと手を繋いで輪になって踊ったようです。


催眠から目が覚めると、あれほど自己犠牲に囚われていた私は、もう何が自己犠牲なのか気にしなくなっていました。