無意識さんとともに

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催眠の現象学24 人に嫌われるのがこわい

自分が人のメールにすぐ返事を出すとは限らないのに、自分が書いたメールに返事がなかなか来ないとなると、胸がしくしく痛み出します。

あるいは、自分の書いたつぶやきに『いいね』がゼロの時もそうです。

そんな時、頭の中によぎるのは、自分は相手に、あるいは人に嫌われているのではないかという考えです。

そうして、人に嫌われることがこわくてたまらなくなります。

そんな思いに心が奪われると、『あんなことは書かなければ(言わなければ)よかった』とか逆に『こうすればよかった』とか絶え間なく浮かんできて、嫌われたと思った人に謝って許してもらいたくなるのです。

そんな思いの渦巻きが、場合によれば何日も続きます。

そういう思いをするのが苦しくて、人に嫌われないように自己犠牲の限りを尽くしたり、あるいはそもそも、人との付き合いから逃げ出して引きこもったりするのです。

けれど、こちらが自己犠牲をすればするほど相手との関係はギクシャクしていくばかりだし、付き合いを経てば経つほど、人の付き合いがないことが『自分は誰からも嫌われている』という思いにお墨付きを与えてしまうのです。

もちろん、そんなふうに、人から嫌われるのがこわくてたまらないのは、誰も彼も、自分を虐待しネグレクトした母親として見ているからなのでしょう。

そうして、そんな母親から愛のこもった言葉がミルクとして与えられるのを期待して待ち侘びている、そんな子供が自分の中にいるからなのでしょう。

でも、そんな甘いミルクが、今は大人になった自分に、人から与えられることはないのです。

いや、正確に言うならば、甘い言葉が与えられることがあっても、私の中の子供が満足するほどに与えられることは決してないのです。

人は、私の母親ではないからです。

では、自分の中の、泣き叫ぶ子供を前にして、どうしたらいいのでしょうか?

自分が自分の中の子供を育てる親になるしかないのです。

 

そんなことがあり得るとは、私も思っていませんでした。

けれど、エリクソンの弟子のランクトンの本(「願いをかなえる自己催眠」)には、それが自己養育法という形で書いてあるのです(第10章)。

 

これはなかなか複雑な自己催眠です。身につけるのに、根気が入ります。

そうして、私が初めてこれを自分に対してした時、胸が張り裂けるように痛くなり、声を上げて泣きたくなりました。

私は、「私はあなたを誇りに思います」「あなたはすごいことをやっています」「あなたのためにここにいます」「自分のできることをすればそれでいい」と言葉を選び出して、あらゆる方向から、そして体の色々な箇所を言葉を回転させながら、言葉をかけていくのです。
お風呂に入るたびに、この自己養育法をやっていて、もう1ヶ月以上経ったと思います。

 

すると、人がこわいという思いがなくなり、集団を避けなくなり、メールの返事が遅れても、いいねがなくても、だんだんと何とも思わなくなったのです。

時には、それでも人に嫌われるのがこわいという思いもやってきますが、この養育法をやるとすぐに離れ去っていくのです。

 

人が嫌われるのがこわいという思いから解放されるなら、こんなに自由に動けるんだという素晴らしさを味わっているのです。