無意識さんとともに

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催眠の現象学3 自己開示という催眠

1対1で語ると素で語りやすいけれども、1対多で語るとどうしても人の目を意識してしまう、そんなふうに考えていたのですが、昨日のオープンダイアログでそんな考えが覆されて、もしかしたら、むしろ逆!だと思ってしまいました。

ある人が、自分の悩みを語ったのですが、本当に、表現がありのままでてらいもなく、深くそのままに自己開示されていました。

そのような自己開示は、無意識さんを起動させるのだと思います。

その言葉を聞いていると、何とかしてあげよう、どうにかしてあげようという思いはすーっと消えていって、自分はどうなんだろうかという内省を促されるのです。

鏡が反射して、反射した光がさらに違う鏡に反射して、またその光が違う鏡に反射して…そうしてまた元の鏡に光が反射してというように、言葉が意味以上のものを含みつつ、無意識さんを真ん中において、回っていきます。

それが何とも心地いいのです。

参加している私たちそれぞれが、私たち以上のものである必要はないのです。

ただ、そこに存在して、言葉を語っても語らなくてさえいいんです。

言葉以上のものがみんなを貫通してまわっていて、まどいを出現させているような、そんな感じです。

何かが解決されるとか、いい考えが浮かぶとか、そんなことではなくて、無意識さんがみんなの真ん中に、ひとりひとりの中に、確実にいることが体感できる、そんな時なのです。

だから、何が大丈夫でなくても、大丈夫、そんな気持ちが静かに内側から滲んできたのです。

もしかして、自己開示も催眠なのかもしれないと思います。

誰かがふわっと花びらを開くように、ありのままに自分を開く時、周りの人たちも促されて自分を開いて、花々が次々から咲いて、無意識がリアルに感じられるという催眠が起こるのかもしれません。

そういうことを味わうと、1対多は1対1よりも人の目を意識してしまうなんてもはや言えなくなった自分がいることに気づくのです。
みんな、名残惜しくて、なかなかZOOMから退出しなかったのですが、自己開示という花開く催眠に魅せられていたからなのかもわかりません。