無意識さんとともに

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人に嫌われるのがこわい

あることをきっかけにして、見捨てられ不安が自分の中から芋づる式に出てきた。あること、前の妻や妻の家族に捨てられたこと…果ては小さい頃母親によく「見捨てる」と言われたことなど。

思わずあまりに胸が痛いので、思わずセルフFAPをして、好転反応の後に見捨てられ不安とはおさらばした。

ところが、しばらくして、「ああ、この人苦手だな」と思う人にちょっと接触した後、今度は『人に嫌われるのがこわい』という恐怖が出てきた。

まずは、自分の思いではないのかもと思い、無意識さんに邪魔を取り除いてもらうようお願いしたが、なくならない。

次に、『愛の真空状態』で自分のこの恐怖を観察してみた。

そうすると、『人に嫌われるのがこわい』ということは『苦手な人がいる=自分が嫌っている人がいる』とコインの表裏だということに気づいた。

つまり、この恐怖は自分の投影であって、嫌いという思いが相手に向かって、返す刀で反射して自分に向かうと自分が嫌われているということになる。

ところで、そうわかったところで、この恐怖がなくなったわけではない。相変わらず、心が痛い。

そして、昨日、臨床催眠の練習相手にこの問題をお話しして、メタファーを頂いた。そのメタファーとは『大福』!

 

大福って何だろうと一瞬思ったが、無意識さんが働いて、まず、思い出したのは、自分は大福が嫌いだったということ。

和菓子全般は好きなのだが、大福は嫌いだった。

白い粉はジーンズに飛び散るし、なんかねちょねちょしている。

大福は嫌いだが、饅頭は大好きである。それで、大福は避けて饅頭を選んでいた。

ところが、饅頭というのはあまり置いていない。そして、ある日、コンビニに行った時、当然のように饅頭はなく、大福が置いてあって、仕方なく大福を買って行った。

饅頭がないことにガッカリしながら、ちょっと嫌だなあという気持ちもありながら、大福を口にすると、思ったよりも美味しい。

それから、大福もけっこう口にするようになった。

 

よくよく考えてみると、饅頭と大福なんて、材料はあんこで外側の皮の部分が米粉か小麦粉で作ったものか餅かという違いぐらいである。

人間もいろいろ違いはあれど、みんな同じ構造をしている。違いと言っても饅頭と大福の違いぐらいしかない。

だから、好き嫌いをなくせと自分を説得するのではない。

好き嫌いはあっても構わない。

食べ物に好き嫌いをあることがおかしなことだと考える人はほとんどいないが、人間に好き嫌いがあることはおかしいと考える人がたくさんいる。

そうやって、人に対して好き嫌いがある自分を自分で罰していて、そこが核心なのかも知れない。

好き嫌いはあってもいい、けれど大福が嫌いだったのに食べてみたらけっこう美味しく感じて食べるようになったように、人間も嫌いだった人がそれほどでもなくなるように、好き嫌いも変化していく…それにいいも悪いもない…「ただそれだけのこと」と無意識さんが言っているのを聞いた時、

心の中から棘がスッと抜けて楽になった。