無意識さんとともに

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催眠の現象学25  内臓の声を聞く

私は、もう中高生時代からずっと、頭だけで生きているみたいな人間だったと思います。

なんか、いつも体があることなんて忘れていて、いや、それどころかむしろ、体なんてない方がいい、天使みたいになれたらなんて思ってきたのです。

自分がキリスト教に入信した(今は卒業しましたが)のもそんなことも動機のひとつだったのかもしれません。

だから、そう、哲学科に入ったのですが、地に足がついた感じがあるアリストテレスよりも、圧倒的にイデア界に憧れ、イデア界に還り行くことを願うプラトンに親近感を感じました。

まあ、さらにぶっちゃっけ言うと、体というものに嫌悪感というか、憎しみみたいなものも持っていて、体のことをいたわるどころか、体を痛めつけることさえしていた節もあります。

そうやって、今まできたのですが、鬱になり、無意識というものを知るようになり、FAPを受けて鬱から回復し、さらに催眠を知ってトランスに入って心が緩むと、自分がいろいろと変化するようになってきました。

小さなことでは納豆が食べられるようになったり、集団がたまらなく嫌だった自分が集団の中にいても大丈夫なようになり、人に言われたことが喉に刺さって取れないようだったのが何ともなくなったり…と。

変化であり、大袈裟に言えば(自分から見れば大袈裟でもないのですが)、いろいろなものとの和解です。

納豆との和解、集団との和解、人との言葉との和解と、そんな感じなのです。
そうして、ついに、体と和解する時がやってきました。
ちょっと前に、血圧が急に上がってどうしようもなくなった時に、追い込まれて、仕方なく、レイキの真似事で、自分の体に自分の手を置いて、どういうことなのか、血圧が下がったことを書いたと思います。
あの時、私は、まあ、生まれて初めてと言っていいぐらい、自分の手で自分の体というものを感じました。

『自分はこういう体を持っていて、こういう感じなんだなあ』と。

人からすれば笑っちゃうようなことでしょうけれども、私にはそうだったのです。

そして、つい、昨日、自分でやってそんなに効果があるならと思い、レイキを習いに行きました。
いろんな感想がありますが、特に印象に残ったことがあります。
手を当てると、体の悪い箇所は、冷たかったり、固かったり、ビリビリしたり…という具合に、感じることがあるのです。
それをレイキではヒビキということだそうです。

私もそのヒビキを感じることができたのですが、私の予想とは違って、チョウチョの羽ばたきのような微かな感覚でした。
特に、肝臓や腎臓の位置に手を当てると、それらの内臓がヒビキを通して私に語りかけている、そんな気がしてなりませんでした。

その微かな声を聞き取れたのか聞き取れなかったのか、微妙に感じ取った時に、生まれて初めて体が愛おしいと思うばかりか、内臓ひとつひとつが愛おしいと思えるようなそんな感情が自分の中に生まれたのです。
そして、それらの声は、無意識の声でもあるとそんなふうに思えたのです。