ずっと空を飛びたかったんです。
40過ぎまでよく空を飛ぶ夢を見ました。
夢の中で、さっと向こうから風が吹いてきて、走り出すと体がふわっと浮くんです。
そんなことを繰り返しているうちに、だんだんとグライダーのように滑空できるようになって空を飛べるようになったんです。
『ああ、この人嫌だなあ』と思う人が歩いてくると、夢の中の私は空を飛んでその人を上から見下ろして、その人に対面しないで済むんです。
螺旋階段を上から下へ降りていく時も、私の足はほとんど階段に触れることなく、超高速で階段を降りることができるんです。
そのうち、私はまるでスーパーマンのように、ほんの数十秒で、日本からアメリカに行けるようになったんです。
また、果ては、地球を宇宙から眺めるそんなこともできました。
そんな夢の印象が強くて、起きてもなお、自分が空を飛べるような気がしてならなかったのを覚えています。
家の屋根から飛び降りたら、案外、普通に飛べるんじゃないかとさえ思うほどでした。
もちろん、そんな夢は見なくなっていったんですが、それでも、自分は空を飛びたいなあ、飛べるんじゃないかという思いが、ちらほら、心の中をよぎっていたんです。
…
ところが、こないだある人からこんなことを言われたんです(もしかしたら記憶違いかもしれませんが)。
「もう、空を飛べなくてもいいんじゃないの」
その言葉は、光の矢のように脳髄を突き通して、その瞬間は何のことやらわかりませんでした(この人の言葉はいつもそうです)。
私は、その言葉を忘れさえしていたようです。
…
しばらくして、ふとした瞬間にその言葉が甦ってきて、
『ああ、そうだ。もう飛べなくてもいい』、そんなふうに思えたんです。
私の人生は、まるでイカロスが蝋の翼をつけて空を飛ぼうする試みのようでした。
何度も、何十度も、何百度も、純粋さの理想に向かって、空を飛ぼうとしては、その度に落下して、我と我が身を呪い、罪責感にさいなまれる、そんなことの連続だったような気がするんです。
『もう、そんなことをしなくてもいい。ほら、裸足の足の裏が土に触れる感じを感じてごらん』、そんな声がからだの奥底から響いてくるようです。
汚い、汚い、汚いとしか思えなかった泥に触れている足を感じて、何だか汚いその泥が温かなような気がします。
私は、両足を大地にしっかりつけて、手に持ったすきで泥を耕し始めます、たちまち、掘り返されて、ミミズやらオケラやら、時には蛇やらが出てきます。
けれど、私は、ミミズやオケラ、蛇を忌み嫌うことなく、それらに話しかけている自分を発見しているんです。
足をつけているから、むしろ逆に、青空から吹いてくる風を頬に感じることもできるようなんです。