無意識さんとともに

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宗教というタイムカプセル

昔、タイムカプセルというものが流行った。

カプセルに、記念になる品物とか、未来の自分への手紙とかを入れて、土の中に埋める。そうして、10年後とかに取り出すというものだ。

宗教というのは、タイムカプセルかもしれない。

他の宗教のことはわからないが、キリスト教だと、10代にキリスト教に入る人が圧倒的に多い気がする。

以前、まだキリスト教徒だった頃、電車の中で座っていたら、おばあちゃんのシスターが話しかけてきた(どうして自分がキリスト教徒だとわかったのかわからないが、知らず知らず、独特なオーラというか雰囲気を持っていたのかもしれない)。

その方は、何でもカトリックの中高に通っていたそうだ。

そうして、「大人は汚い、大人のように薄汚れていきたくない。綺麗なままでいたい」、そんな気持ちからカトリックになり、修道院に入ったそうだ。

修道院にまで入るかは別としても、キリスト教に入った自分も、他の人たちもおそらく、『汚い大人のようになりたくない』という思いはあった気がする。

そして、キリスト教世界を見回すと、神父も牧師も信徒も、本当に成熟した大人という人はまずいなくて、みんな、精神は思春期の子供のままという人が多いのかもしれない。

宗教というタイムカプセルに閉じ込めるのは、思春期の自分自身だ。

そして、タイムカプセルの中で、コールドスリープの状態になる。

あわよくば、天国まで一生、そのまま、眠った状態になる。

思春期の夢を見続けながら。

ところが、私の場合は、そのカプセルをコツコツと無意識さんに叩かれて、目を覚ましてしまった。

そうして、催眠によって催眠を解かれて、カプセルを飛び出して、自分の足で歩き始めている、そんな気がしてならない。