C2
その後、私は、ただプラトンアカデミアの面々と共に、楽しい、ふざけた日々を過ごしていた。以前だったら、そういう馬鹿騒ぎのような日々に後ろめたい気持ちになったろうが、今は青春の1ページとして楽しんでいた。
そして、そういう日々も瞬く間に過ぎ去り、就職か大学院に進むかということを考えなければならない時期になった。
大学院への推薦状を書いてくれるという教授は2人いて、私に強く大学院に進学することを薦めてきた。
ただ、私自身は、生きるために、生きる力を見出すために哲学を選んだのだったが、今となってはその必要はなくなっていた。これ以上、哲学を勉強することに興味は感じられない。
それに代わって出てきたのは、心理学を勉強したいという気持ちだった。
ただ、どこかの大学に編入するには、先立つものが必要だった。
もう、これ以上、親に依存したくもないし、支配を受けたくもない。
そこで、就職し、家を出て、資金を貯めようと決意した。
就職説明会に出たが、哲学科100人いる中で就職説明会に出ているのは私ともうひとりいるだけだった。哲学科とはそういうところである。事実、哲学科のY教授は「人間、何をしても生きていけますからね」というのが口癖だった。
プラトンアカデミアのメンバーには、私が就職説明会に出たことは良い笑い話になった。しかし、私は私の道を行くだけだった。
そうして、大学の求人に見つけたのは、高待遇の大学職員の求人だった。しかも、私が候補にあげているうちのひとつの心理学科のある大学だった。
私は、心に聞いてそこに行くことに決めた。
すべてのことが決まってのち、私は初めて、親に話した。母親は怒ったり、すかしたり、宥めたりして、私の意を翻そうとしたが、もうすべては決まっていたし、後の祭りと諦めた。ただ、大学にかかった費用は返してくれと言われたが、そのつもりだった。
卒論を出してしまうと、あとは、家を出る準備を始めた。もう、プラトンアカデミアのメンバーも、行く先は決まっていた。Oは養護学校の教師、Mは大学院、Sはわざと卒論を出さずにもう一年大学に残ると言う(『どこまでもふざけたやつだ』)。
家を出る日も、いつもと同じように、私はひとりでトーストとミルクと目玉焼きの朝食をとった。家を出ようとするその時も、いつものように、母は寝ていて、起きてこなかった。
玄関のドアを開けた。
目に入ってきたのは、まぶしい光と何もない大空だった。
…
私は催眠から覚めた。『何も変わらない気がする、けれど何かが変わった気もする』。うつらうつらして、顔を洗おうとして、洗面台の鏡を見ると、そこにいつもの自分の姿が映っていた。口元は静かに微笑んでいた。開いた窓の外に見える青空が鏡に映りこんでいた。
『してみると、何かが変わったのだろう』
(終り)