僕は二十歳になった。
と言っても、何かがそんなに変わったわけではなかった。
大学では、相変わらずぼっちを決め込んでいた。まあ、哲学科というのはぼっちの集合体みたいなところだったから、そうであってもそれが普通だったので、僕にはありがたいところだった。
四谷の聖霊刷新グループでは相変わらず、持ち上げられていた。
そうして、僕も人の相談に乗って、人のために祈ったりもしていた。
ある時は、海外から聖霊刷新の有名な神父が来た。
「人を導く賛美の賜物を、神がある人に与えると言っておられます」
僕は、小さな頃から、楽譜も読めず、ハーモニカや笛のひとつもまともにできなかったから自分に関係のない預言だと思った。
ところが、神父はそう言い終わると、まっすぐに僕のところに来た。
「主はあなたに賛美の賜物を与えられます」
神父は、僕の頭に手を置いて祈る。
ところが、正直なところ、僕は何も感じなかった。
もう、そう言うことに慣れすぎてしまったのかもしれない。
僕は、とりあえず、神父が祈り終わるまでじっとしていた。
ところが、周りは違う反応だった。
「神は、私たちに素晴らしい賛美リーダーを与えられました、ハレルヤ」
「おめでとう、これから、私たちの賛美を導いてください」
僕は、どうしたらいいか途方に暮れた。それだけでなく、何だか、もう、そういう周りの反応が疎ましく感じるようになっていた。
けれども、そう言われれば、そうせざるを得ない雰囲気だった。
僕は、四谷での次の聖霊刷新の集いの時に、賛美を導くことを試みることをしなくてはならなかった。
「主よ、あなたの僕に、あなたへの賛美を献げる力を与えてください。
『天の玉座から、新しい風がここに吹き寄せる
心に、体に、今、ここに
その風に身を任せ、手と足を伸ばし、心の翼を広げ、
さあ、走りだそう
恐れることは何もない
自分の力ではなく、主の力で
信じよう、信じ続けよう
そうして、信仰の力で浮き上がり
主の大空に飛び立とう』」
歌詞とメロディが勝手に出てきて、僕はみんなの賛美を導く。
何なんだろう、これは。
けれど、そうやってみんなに感嘆の目を向けられれば向けられるほど、僕はどんどん苦しくなっていった。
そうして、『助けてください、助けてください』という声が、起きていても、眠っていても、夢の中でも聞こえてくるような気がして、僕は皆のために祈り続ける。自分を犠牲の小羊として献げ続ける、これで終わりという終着点が見えるということもなく。
僕は、だんだん、四谷から足が遠ざかり、地元の教会にだけ出るようになっていた。