無意識さんとともに

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ナラティブヒューマン

人間は物語を紡ぎ出す動物である。

 

「星の子」という映画を見た。

ちひろという宗教2世、中学三年生の話である。

生まれてからひどい皮膚炎を患って、両親はどうしたらいいか分からず、知り合いに何にでも効くという星の水を教えてもらって湿布すると、奇跡的に治る。

それ以来、両親は宗教にますます熱心にはまっていく。

ちひろの姉は疑いを持って家を出ていってしまい、二度と戻ってこない。

ちひろは、信仰と疑いの狭間にいる。

 

宗教も一種の物語だと私は思う。

そして、宗教という物語はある意味、かなり成功した物語なのだろう。

でも、物語という点では、小説や詩、漫画やゲーム、アニメと変わらない。

ただ一つ違うところは、どんな宗教でも、『これは唯一、絶対に正しい物語である』と信じている点だ。

いくら、エヴァンゲリオンまどか☆マギカに熱狂しているオタクでも、『これは唯一、絶対に正しい物語である』と信じているものはいないだろう。

どんなに熱狂していても、all of all(全ての全て)ではなく、one of themだろう。斎藤環が「戦闘美少女の研究」で言うように、オタクは自分の推しアニメが虚構であることは分かっていて、現実には普通の社会生活を送って結婚しているものがほとんどなのだ。

ところが、宗教は、どんなものであっても、たとえ原始仏教のように物語を一切否定しそこから抜け出す(ただし、それも一種の物語であることを免れ得ない)ことを主張するものであっても、one of themではなくall of allであろうとする。

 

してみると、オタクは一種の進化した人間とも言えるかもしれない。

人間が物語を、神話を作り出すことを避けられないものであるならば、むしろ、それぞれが積極的に自分の無意識に促されて物語を作り出し、物語を生き、しかし、その物語をone of themとしてあえて信仰しないという催眠的生き方をすることが、これからの時代のニュータイプなのだろう。

 

新時代には、ブッダオタク、イエスオタクはいても、信者はいないのかもしれない。