無意識さんとともに

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鬱からの回復(回復へのロードマップ)8〜支配の本質と無意識への信頼

ところで、支配の本質とは何でしょうか?

それは、『お前は、ありのままの自分自身では(自分以外の何ものかにならなければ、支配者の私に従わなければ)生きられぬ』という欺きであり、呪いです。

支配者は、祝福を約束します。

それはとても素晴らしいもののように思えますが、祝福には必ず呪いが伴っており、実は祝福と呪いはワンセットであり、一枚のコインの両面です。

例えば、旧約聖書にはこう書かれています。神が言った言葉として記されています。

「わたしは…いのちと死を、祝福と呪いをあなたの前に置く」

「わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、3、4代に及ぼし、

わたしを愛し、わたしの戒めを守るものに、恵みを施して、千代に至るであろう」

もちろん、聖書を読んでいくと、新約聖書になると、神は徹底的な祝福の神、愛だけの神になったように思われますが、最後まで読み進めていくと、黙示録で、最終的に自分に従わない罪人を裁く神として現れます。

祝福と呪いが一枚のコインであることは変わっていないのです。

ところで、この祝福と呪いという1枚のコインは、聖書の神だけではありません。

祝福を約束しながら、親(「言うことを聞かなければ酷い目に遭うよ」)、他の神(「従わなければバチが当たる」)、仏教(因果応報)、占い(「そちらを選ぶと酷い目に遭いますよ」)、オカルトなどでも同じことだと思います。

 

そして、何よりも大切なことは、『お前は、ありのままの自分自身では(自分以外の何ものにならなければ、支配者の私に従わなければ)生きられぬ』という欺きであり呪いであるものの、

『ありのままの自分自身』とはあなたの無意識そのものだということです。

 

あなたの無意識とは、神、仏、宗教、占い、オカルトと並び立つようなものではなく、それらの代わりでもなく、

あなた自身、本来のあなた自身だということです。

 

ですから、支配者や宗教や占いやオカルトの支配の本質である『お前は、ありのままの自分自身では(自分以外の何ものにならなければ、支配者の私に従わなければ)生きられぬ』というのは、ダイレクトに、あなたはあなた自身の無意識では生きられないと、あなたをあなたの無意識から引き離して、支配の中に組み込むというものであるわけです。

 

ところで、よく、「もっと、無意識さんの言う事を受け入れて変わるようにしなくちゃ」みたいなことが言われることがあります。

 

ここには勘違いがあるかもしれません。

 

ここで言っている無意識さんは、私が無意識さんの言うことを聞いて従うべき存在、つまり、神のような存在、もうひとりの神のような存在として受け取られています。

 

けれど、無意識さんは、あなたの無意識であって、本来のあなた自身であって、外から従うべき存在ではありません。

 

無意識は信仰(疑いもせず信じ従う)すべき存在ではありません。

 

もちろん、無意識を信頼することは大切です。

ただ、ここで言う信頼とは少しずつ形作られていくものです。

無意識は、一方的な信頼を求めることはありません。

そして、無意識とは本来のあなたであるならば、形作られていく無意識への信頼とは、まごうことなく、本来の自分自身への信頼なのです。

あなたの無意識とは、あなた自身であって、他者ではない、他の人の無意識でもなく、支配者でもなく、親でもなく、宗教でもなく、占いでもなく、オカルトでもない。

 

私は、以前の状態、さらにクリスチャンだった頃を思い出すのですが、自分はいつでも充電切れの電池のように思っていました。

それで、祈って、神というエネルギーの源に充電してもらわなければ、自分で自分を生きられない、そんな感じを持っていました。

私の場合は、キリスト教の神でしたが、対象がなんであれ、それこそが支配そのものなのです。

 

『自分では足りない、自分ではダメだ』、それこそが解除されるべき支配であり呪いです。

 

けれど、支配者というのはしつこいもので、ひとつの戦術が効かないとなると、別の戦術をとってきます。

その戦術とは、無意識になりすまして、無意識が信仰を要求する、外から従うべき存在のように思わせることです。

そのように思わせることで、『無意識の言っていることを全面的に受け取れない自分では足りない、自分ではダメだ』と支配と呪いをその人のうちに確保するのです。

 

では、どうしたらいいのでしょうか?

まさに、そのためにこそ、『心に支配と邪魔を排除してもらうこと』をするのです。

 

『心に支配と邪魔を排除してもらうこと』に集中して、心の声を聞くことを目的としないのはそのためです。

 

なぜなら、心に支配と邪魔がある間は(正確に言うと、支配と邪魔がかなりある間は)、支配者はいとも簡単に心の声になりすまして、本人を欺くことができるからです。

 

そうして、そういう欺きの声をそのまま疑いもせずに信じることが、無意識への信頼だと勘違いしやすいのです。

 

例えば、私も、最初に声が聞けるようになった時に、「ある人があなたのツインソウルだ(私はスピリチュアルを信じていなかったので、そんな言葉が与えられるとは思っても見なかったのですが)」という声を心の声だと信じてしまったことがあります。

私は、その声に従って決定的な行動をしなかったので、大変なことにはならなかったのですが、今、考えると、私自身、無意識を疑いもなく、信じ従うことが信頼だと勘違いしていました。

 

無意識を信頼するとは、心の声を疑いもなく信じ従うことではなく、「無意識=本来の自分自身は、一切の支配と邪魔を取り除くことができ、自分が自分で自分の人生を生きるエネルギーを自分のうちに持っている」ということを少しずつ信頼していくことなのです。