無意識さんとともに

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learnとunlearn

基礎練習は大切だ。基礎練習を数えきれないぐらい繰り返して、ある手順を自動化してできるようになることは物事を学ぶうえで大事なポイントだと思う。

だがしかし、それだけではその手順が固定化して、柔軟性を失ってしまう。状況に応じて自由自在ということにはならない。それは自動的とは言えるかもしれないが、無意識的というのは全く違うだろう。

状況に応じて、無意識さんに任せて、柔軟に自由自在に動くためには、どうしても飛躍が必要だ。

 

「まず、プロトコール(手順)を一通り終えたら、それについてすべて忘れるようにします。そう言われると、一瞬奇妙に思われるかもしれません。意識的に何かを望むことは確かに必要ですが、それだけでは不十分で、望んだものを現実世界で使えるような形で生み出すことはできません。私たちの意識による理解は、最終的に、意識でコントロールしようとせず、無意識に任せるようにします。そうすることで、あなたの無意識が正しい方向へとあなたを導いてくれます。コントロールすることをやめて、あとは、人生全体をより良く理解しているもの、つまり無意識の働きに起こるがままに任せるのです。」(「願いをかなえる自己催眠」スティーブ・ランクトン p.168)

 

学んだlearnしたことを忘れるunlearnすることがどうしても欠かせないことになる。そうやってのみ、無意識に働く余地を与えられる。

無意識は柔軟であり、創造的である。どんなに幼稚なものでも、無意識さんに息吹かれて自分なりの新しいものを創造することが、無意識を生きることである。

 

エリクソンは、自分のアプローチが編集され、それが形にされることを気にしていた人だった。形にされた手順を学んだ治療者は、それを不適切な場合にも適用しようとするだろう。そうした治療者は、個人の多様性やニーズに鈍感になっていくだろう。エリクソンを単に機械的に模倣するようになり、自分自身の手順なりアプローチを開発していくことがなくなるだろう。エリクソンはそう感じたのであった。彼はこう語っている(1983)。「あなた自身の技法を開発しなさい。他の誰かの技法を使おうとしてはいけません。…私の声や抑揚を真似しようとしないで下さい。あなた自身のものを見つけるのです。自然なあなたでいなさい。人が人に対して反応しているのですから。…私も人の真似をしてみようとしたことがあります。めちゃくちゃでした。」(「ミルトン・エリクソン入門」ウィリアム・ハドソン・オハンロン p.6)