無意識さんとともに

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誰とでも仲良くという呪縛

幼稚園から小学校にかけて、「誰とでも仲良くしましょう」と教え込まれるが、もしかしたらとんでもない教えなのかもしれない。

私の場合は、さらに、「あなたの隣人を愛せよ、右の頬を打たれたら左の頬も出せ、手向ってはならない、あなたの敵を愛せよ、祝福せよ」というキリスト教を信じていたので、さらに輪がかかっていた。

だから、この人おかしいなという違和感を感じてもその人から逃げられない。この人とは相性が合わなくて嫌いだなと思っている自分が許せない。

むしろ、違和感を感じる、自分が嫌いな人のことがいつでも頭の中にぐるぐるしてしまう、その人のことばかり考えてしまう。

反対に、好意を持ったり相性がいいなと思う人には簡単には近づけない。

かくして、自分でも『どMかよ』と思うのだが、頭の中で相手のリンチを受け続けて、本当にボロボロになって、破滅する寸前でようやく逃げ出す、「火をつけた責任、最後まで」とか「落ちるなら地獄の底まで一緒に落ちて」という相手の言葉に罪悪感を感じながら。

けれど、無意識さんはもうこんなことから卒業させようとしているらしい。

「違和感を持ったら、カエルのようにその人から身を翻して逃げよ」

「嫌いな人は嫌いでいい」

あのエリクソンでさえ、ただ嫌いという理由で診療を断ったぐらいだから、まして自分のクライアントでもない人に、相性が合わない嫌いな人にぐずぐずとお付き合いをする理由なぞどこにもないのだ。

「ちょいSで行こう」

心は、悪戯っぽくそう言ってくるようだ。