父の事業も完全にだめになるらしいと言ったが、どうやらそれだけでは済まないらしい。今、住んでいる新築の家を売って、どこかに引っ越さなければならなくなるようだ。すぐではないとしても。
そうすると、ぼくとはまっちは離れ離れになる。今でもクラスが別々だが、もっと距離が遠くになる、おそらく同じ中学校には通えなくなる。
このことが、ぼくの心を痛めつけた、心に突き刺さった棘のように。
そして、このことをはまっちに言うかどうか、ぼくは迷っていた。はまっちを悲しませたくない、でも…
茜色の陽がさしこむ放課後の教室で、ぼくとはまっちは会っていた、他には誰もいない。
「はまっち、話したいことがあるんだけど」
それまで話していたたわいもない話をさえぎって、ぼくは言った。
「何かあると思っていたわ、いつものうえっちと何か違うから」
「そうだね」
ぼくの目の前にいるはまっちは、ポニーテールにしていて、気のせいか、ことさらに大人びて見える。
「何でも言って」
ぼくは息を飲んだ。
「…言うよ、けれどもここじゃない。あそこで、ぼくたちの…」
「小屋で?」
「そう」
はまっちがぼくの考えていることがわかってしまうのに、少し驚きながら。
ぼくたちは、なぜか、あのことの後、1度もあの小屋に行ったことがなかった。夢では何度も訪れていたけれども。
どうしてだろう?
補導されたから怖いとかそういうことではもちろんない。そうじゃなくて、ぼくたちにとって特別な場所すぎて、当たり前に行くのがためらわれたのかもしれない。
「じゃあ、明日、3時半にあの小屋で」
「わかったわ」
次の日、ぼくは授業が終わって掃除をしてから、キャンバスバッグを持ったままーあの時と同じだー病院の森の中にあるあの小屋に急いだ。
校門を出て、左に曲がり、もう一度、右に曲がり、バス通りに出てまっすぐ、病院の正門に入ると右手の小道を通り…
何もかも同じだった。
小屋の戸のところに来ると、やはり蝉の抜け殻がある。しかも、今度は2つの抜け殻が並んで戸にくっついている。
『おかしいな、近くにあるナラの樹の下に埋めたはずじゃなかったっけ?しかも今度は2つも』
南京錠は外れている。
引き戸をガラガラっと開けた。
「おかえり」
前と同じように、黄色のワンピースを着た女の子がテーブルの右隅、向こう側に座っていた。前と違うのは、ワンピースが小さく見えることだ。いや、錯覚ではなくて、本当に小さいのだろう。
「ただいま」
こんな会話をして、ぼくたちはちょっと恥ずかしくなった。考えることは同じなんだろう。
「黄色のワンピース、久しぶりに着てみたの。似合っている?」
「すごく似合ってるよ」
そうして、ぼくたちは何も言わず黙っていた。外から小鳥のさえずりが音のシャワーのようにぼくたちの耳の中に、いや心の中に注がれていた。