佐伯さんは、なぜかちょっと元気が出たようだ。理由はわかるような、わからないような。
「私もちょっと用があるから」
そう言って、立ち上がり、ぼくははまっちとふたりきりになった。
今度は、佐伯さんの座っていたところに、ぼくが座り、ぼくたちは向かい合わせになった。
しばらく黙っていて、どうしたのか、ぼくたちはお互いを懐かしそうに見つめ合っていた。
ぼくがそうしたのは理由がないことではない。
そこにいたのは、ぼくが初めて会った頃のはまっち、あの快活なはまっちだったから。もちろん、それだけではない、ぼくの知らないはまっちも入り混じっているような。
だから、正確に言うと、懐かしいような、けれども新鮮な気持ちのような、そんな感じだ。
「あの小屋は、ぼくたちの共依存のしるしだったのかな」
ぼくはぼそりとつぶやいた。
「共依存?」
「そう、ぼくがはまっちに依存し、はまっちがぼくに依存するそんな象徴」
「共依存のしるしなんかじゃないわ。無意識の象徴よ」
はまっちはきっぱり言う。
「無意識の象徴?」
はまっちの言っていることはよくわからない。
「わたしたちのありのままの姿を映し出す鏡のような無意識の象徴よ。わたしたちは、あの小屋が、わたしとうえっちの、うえっちとわたしの絆だと思っていた。でも、本当は、わたしたちはあの小屋で、ありのままのわたしたちでいられたということなの。そして、目に見える小屋がなくなっても、小屋はいつも、どこでもわたしたちの中にあるわ」
「そうなのかな」
「そうよ」
「でも、それと付き合いをやめるというのはどういう関係があるのかな?」
「わからない?わたしはうえっちを縛りたくないの。自由があるところでしか、わたしたちはありのままの自分で呼吸して、ありのままの姿にかえっていくことはできないの。そうして、わたしたちがありのままの姿で道を歩んで、わたしたちの道が交わるかどうかは…」
「交わるかどうかは?」
ぼくは情けないことに、なんだか泣きそうになった。
「わからないわ」
『はまっち、ぼくを置いていかないで。ぼくを置いて、ひとりだけ大人にならないで』と言いたくなったが、言えなかった。
「そっか」
「でも、17歳の7月7日には、うえっちに会うつもりよ、それは確か」
「じゃあ、いったんお別れだね」
ぼくは胸が裂けるような気持ちがした。
「そうね、でもお友達だから。そして、うえっちを好きなことは変わりないわ、誰よりも」
「ぼくもはまっちが好きだよ」
ぼくは、好きという言葉の意味が、ぼくとはまっちではまるで違っているような気がしてならなかった。
「じゃあ、お別れする前に、今度の日曜日、ディズニーランドに行かない?」
「いいけど」
ぼくは拗ねた子どものような調子で言った。
「約束ね」
はまっちは小指を差し出した。ぼくも、ためらいながら小指を差し出して、指を切った。
「そろそろ、母が終わる頃だから、行くね」
ああ、はまっち、いつの間にか、『ママ』ではなく『母』と呼ぶようになったんだ。
はまっちは、行く間際に、いったんぼくのところに近づいて、ぼくの背中をパンと思い切り叩いた、昔のように。
はまっちは去っていく。
「はまっち!」
「うえっち、またね」
はまっちは、ぼくの方を振り向いて、太陽のような笑顔をして、手を振った。
ぼくはひとりそこに残された。