無意識さんとともに

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右の頬を打たれたら

「あなたの右の頬を打たれたら、左の頬も向けよ」

これは、弱さや屈従の言葉ではなく、むしろ、相手に対する強さや抵抗の言葉だと言われている。

確かに、相手が何をしようとそれに揺るがされずに、右の頬だけではなく、あえて左の頬を向けるのは、かっこいいのかもしれない。

少し前に、練習相手にFAPをしていただいた時に見たイメージはこんなものだった。

私の胸かお腹か忘れたが、そこに無数の針が埋まっていて、それを取り出すイメージ。

人に言葉の針で刺された時、何ともないように超然としていられたら、全然、動じないようにしていられたら、あるいは、そんな相手も寛容のポーズで腕を広げて平気でいられたら、どんなに格好のいいことか。

そうして、深淵を見て、深く癒されたら、そんなふうになれるのかと思っていた。
けれども、全然違うらしい。

むしろ、針のような言葉で刺されたら、以前はさして痛みを感じなかったのが、敏感に痛みを感じる。そして、左の頬を向けるどころか、逃げようと思う。

以前は、刺されても、大丈夫という顔をして相手に自分を差し出して刺され続ける。ある程度刺されても、感覚が麻痺しているのか何も感じない。それを自分はなんて寛容な人間なんだと勘違いしていた。
その果てに、けれど、もう耐えられない痛みを感じて、あるいはボロボロになって、その場に倒れ込む。

寛容という、憐れみという、偽りの快感に捕らえられていた自分は、針を何本刺しこまれようと全く平気な自分を夢見て、癒しを求めていた。

何という倒錯!

癒されたら、痛みを感じて、自分に針を向けてくる相手を避けるという、生物として正常な反応。
あまりにも、当然の、当然すぎるぐらい当然の真実。

「あなたの右の頬を打たれたら、そんな相手を後にして進め」