無意識さんとともに

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催眠!青春!オルタナティヴストーリー 88〜U16 燎原の火

中2の担任は、50代ぐらいの女性で、音楽を教えている光村先生だった。ぼくは、体育と音楽がからきしだめだったから、何となく、光村先生とも反りが合わないと感じていた。

いや、反りが合わないとかいう問題ではなく、光村先生は大橋先生のように睨みがきくタイプではなかったので、いったんは抑えられていたぼくの噂がクラスに燎原の火のように広がった。

神楽坂さんとぼくだけの噂だけではなく、どこから仕入れてきたのか(隣の市のことだったから、塾での友達とかそういう噂のルートがあったのかもしれない)、ぼくとはまっちのこともそれに加わって、噂の火はますます勢いを増した。

みんなは退屈していただけなのかもしれないし、中2になったばかりで知らない人と共有できる話題が欲しかっただけなのかもしれないが、ぼくは中2になってわずか1ヶ月で、不純異性交遊をする不良ということになった。

不良と聞いて、ぼくは内心、笑ってしまった。ぼくはどこをどうとっても、不良というタイプには程遠かった。そして、クラスには群れている不良と呼んでもいい生徒たちはいたが、ぼくは彼らを差し置いて、不良という肩書きを頂戴したのだ。

いったん、そういう肩書きをもらうと、何をどうしてもそういうラベルは剥がせない。
『どうせ、そんなふうに思われるなら、本当に不良になってやろうか』と思ったが、タバコを吸ったり窓ガラスを割ったりするのも、何だか馬鹿馬鹿しい。

それでも、最初は、クラスの女子にはさほど、ひどい扱いを受けてはいなかった。

だが、あることが起きてからは、味方はクラスの中にはほとんどいなくなった。
ぼくは、不用意にも、文芸部で書いている原稿を机の中に置きっぱなしにして帰ってしまった。
その原稿とは、はまっちについて書き溜めた詩だった。

翌朝、登校してみると、ぼくの原稿は黒板にガムテープで留められており、色とりどりのチョークで黒板いっぱいに、今までの悪口に混ざって、『気持ちわりい』という言葉が書かれていた。
それから、以後、ぼくはクラスのほぼ全員に無視されるようになった。
自分からは積極的には話しかけはしなかったが、行事や班行動とかで話しかけなければならないことはあった。そういう時に、全く返事をしてもらえないのはなかなかにこたえる。

そのうち、母親が呼び出された。

帰ってくると、母親はぼくに対して激怒していた。
「あんたのこと、とんでもない問題児と言われたわよ。何度、親に恥をかかせたら気が済むの」
前からわかっていたことだが、家に居場所はない。そして、新たにクラスにも居場所はない。
文芸部の部室だけがぼくの居場所になった。
人に無視される時、脳裏にはまっちといたあの小屋が浮かんでくる、ああ、あそこに帰りたい。はまっちの元に帰りたい。