無意識さんとともに

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共感をなめていた

『人にどれだけ共感されても、私は癒されない。もう、共感なんてごめんだ』と、私はそんなふうに思っていた。

先日、臨床催眠講座で、リフレーミングを扱っている時もそう思って、はっきり言って共感をなめていた。

ところが、その後の練習で、お相手が私の悩みを聞いて、自分の想像する苦しみの10倍と受け取って、共感していく。

何だか、閉じていた心が開かれる感じで、痛い、とにかく、痛い。そうして、私は思わず、号泣したくなった。

それから、リフレーミングを聞いて、再度、号泣したくなったが、すんでのところで押しとどめた。

けれど、その後、確かに悩みから解放された感じがあった。

私は、自分が相手の苦しみを吸収する性質があると思っていた。それで、安易な共感をすると、相手の一部を自分の中に取り込んで苦しむことになると、共感を恐れていた。

講座中に、ある方がO先生に質問された、「相手の悩みを聞くと、その後で気持ち悪くなるんです」と。

それを聞いて、先生は「それは、まだ3倍ぐらいでとどまっているということだね」

そのやりとりを思い出して、私はハッとした。へたに共感すると、相手を自分に取り込んで酷い目にあうから、共感はしないでおこうと思っていたのだが、それは方向が逆だったと。

共感がしたから酷い目にあったのではなく、共感が足りないから酷い目にあったのだと。

相手の苦しみは、自分の想像する10倍だと思って聞くと、自分の深淵を通して、相手の苦しみを見て、共感して、そして自分は何もできないと絶望する、痛む。そして、その絶望の中でこそ、無意識は働いて、こねくり回したのではないリフレーミングが生まれるのかもしれない。