自分は何も悪いことはしていない、やましいことは何もない、そう思っても、もしかしたら知らない間に、相手をぐさりと傷つけるような致命的な罪を犯しているのかもしれないという思いが、ぐるぐると頭を離れない。
赦しの秘跡を受けて、告解して楽になろうと思っても、自分の罪が何なのかはっきりしなくては要領を得ない。
この中途半端な状態は、まるで罪の宣告を永遠に待ち続けているような状態は、ある意味、死刑宣告よりも苦しい。
ちょっとは治ったと思った背中の痛みが、またぞろ、痛み出す。
もう、忘れるしか手段はないと、私は自分で自分に言い聞かせた。
たとえ、自分でも知らないうちに誰かを深く傷つけていたとしても、忘れる以外にどんな方法が自分にあるだろうか?
そうして、とにかく、大学に行き、日曜日はミサに、午後は聖霊刷新の会に出て、暇な時は御堂でRさんと待ち合わせ、同じようなことの繰り返しに自分の癒しを求めようとした。
ところが、気のせいなのかどうか、いつも誰かに見られているような気がしてならない。
そこに、Kさんの姿ははっきり見られなくても、Kさんがじっと僕のことを見張っているような気がする。
それでも、僕はそんなことはあり得ないと、自分の思いを理性で否定しようとした。
いくらKさんでも、神様を信じているのだもの、そこまでするはずがない。
たぶん、Kさんの母親のあの言葉、『たとえ、神様があなたを赦しても、私はあなたを赦さない」というのも、ちょっとした弾みで言いすぎただけなのではないか?
ところが、ある日、いつものように、夕方、大学から家に帰って、玄関のドアを開けようとしたその時だった。
見上げると、テラスハウスの白い玄関のドアに赤い字で何かが書かれていた。
「死のさばき」
そうペンキか何かでそう書かれている。
僕は、全身がブルブルと震えて止まらない。
そこにへたり込んで、体が痺れたように動かない。
イエスの祈りを唱えようとしたが、言葉が言葉にならない。
まるで、蝶がいきなり虫ピンで体を突き通され、壁に磔にされたようだ。
そのうち、高校から帰ってきた妹が僕を見つけた。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
僕は、手で玄関のドアの文字を指さすだけだ。
母と妹に家に運び込まれ、僕はベッドに寝かせられた。
そうして、天井を見上げていると、今度は、魂の中心を何かが貫いたかのように、涙が滝のように流れて止まらなくなった。
激しい痛みが心を引き裂く。
僕は耐えかねて、ベッドの上でごろごろと左右に転がる。
号泣と転がる音を聞きつけて、心配した母と妹が僕の顔をおそるおそる覗き込んで祈る声だけが、途切れ途切れ、耳に聞こえるばかりだった。