無意識さんとともに

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催眠の現象学30 卵焼き

昨日は、ある人と初めて催眠の練習をしました。

最初、雑談に花が咲き、なかなか練習に入れなかったのですが、後半に、私が悩みを出して練習を始めました。

私の悩みというのは、言える範囲で言いますと、将来の見通しが見えず、まるで自分の1メートルぐらい先を懐中電灯で照らして歩いているような感じがするといったものでした(この通り、言ったかはあやふやなのですが)。

お相手の方は、いきなり卵焼きの話を始めました。

『卵焼き?』

私はちょっと混乱しました。

この方の話はこんな感じだったと思います。

「私の家では、卵焼きは塩を入れた卵焼きで、私はそれが卵焼きだと思ってきました。けれど、大人になるにつれて、他の家では甘い卵焼きを食べていることを知りました。塩が入った卵焼きが一番で、他は卵焼きじゃないと思ったのですが、食べてみると、これはこれでおいしいということがわかりました。

他にも、出汁を入れただし巻き卵もあるということを知りました。

今も塩を入れた卵焼きが好きなのですが、他の卵焼きもそれぞれ卵焼きなのだと気づいたのです」(私の記憶によるもので、言葉通りではありません)

お相手の方が呼吸合わせをしながら、そう語るのを聴いていると、私はトランスに入って、心のとても柔らかなところに触れられて、かき混ぜられたような気がしました。

そうして、また、今まで閉じていたところが開かれて、風がそこに迎え入れられ、微かな痛みを感じるようなそんな感じです。

私の頭には、いろいろなことが浮かびます。

足を踏ん張って、『これが一番いい、他のものは何だか違うんだよ』

そんなふうに言っている声がします。

けれど、そんな強張りが何かに触れられて、たちまち、脱力していきます。

踏ん張っていた足は、ピクピクと震えて、まるで生まれたての小鹿のような足に変わっていきます。

自分が知っていること、自分が信じていること、自分がいいと思うこと、それだけが一番で他は何だか違うというのはどこかぎこちないというのは、頭ではわかります。

でも、そんな頭のことではなくて、心に触れられる時、体感でわかるのかもしれません。

そんなピクピクとした可愛い体感が体に、そして心にもやってきたようなのです。

それがどういうことなのか、言葉で説明するのは野暮なような気がします。

けれど、どうやら、先に何があるか、もう前もって見えているのではなく、1メートル先を無意識さんの懐中電灯で照らしながら歩くこの何気ない毎日が、ワクワクするような冒険のように思えてきたのは、不思議と確かなようなのです。