高村君から花岡さんへ、そうして花岡さんから私へと経由して、うえっちの手紙が届いた。
わたしは、うえっちの言葉ひとつひとつを心に刻み込むようにして読んだ。
『うえっちもわたしのことを忘れてはいない、今もミサンガをつけてくれている』
もう、それだけで十分だった。うれしかった。涙がこぼれて、うえっちのただの白い便箋に落ちて、桜の花びらのような染みをつくった。それは、あの教室で、桜の花びらがうえっちの肩とわたしの髪にひとつずつ、舞い降りたことを思い出させた。
『瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ』という百人一首の歌が心の中に響いてきた。どこで覚えたのだろう。わからない、わからないけれど…
二学期になった。みんな、少しは受験を意識して、塾に通い出すものも多くなった。
わたしは、夏の間から、怜と一緒に無限塾に通い始めていた。
家から近くはないが、怜のパパが怜と一緒に車で塾に送り迎えしてくれる。
小さな塾だからクラスはひとつしかない。
そして、先生は、以前も会った塾長兼英語担当の植木さんで、何でも怜のパパの教え子の大学院生らしい。あとは各科目は、やはり教え子の大学生が教えていた。
授業が始まる前に、みんなで『呼吸合わせ』というものをする。
前に立っている先生が息を吐いている時に息を吐き、息を吸っている時に息を吸うというものだ。実際は、肩が微妙に上下するので、それに合わせるだけだ。
最初は難しくてぎこちなくなったが、その内、何も考えずにできるようになった。
クラスは12人ぐらいの人数だが、みんなで先生に呼吸合わせしていると、不思議に一体感が感じられてくる。
そして、授業の内容を聞くと、スポンジが水を吸収するように知識が吸収されていく。
勉強がそんなに好きではなかった私が、何だか勉強が楽しくなっていく。
先生は、特に植木さんは、一方的に教えるという感じではなかった。
私たちに質問して、どんな答えをしても、そこから私たちのわからないところをマッサージをするように解きほぐしていく。質問されることを恐れていたわたしが、だんだん、質問されることが楽しみになっていった。
脱線話も面白い、何だか心理療法家とかのエリクソンおじさんという人の話が多かったが、なんか全然関係のない脱線話が、最後は、授業や質問の内容に重なることにもびっくりする。
何より、1クラスしかなくて、勉強ができる人もできない人もいたが、ここにいると、みんな人間として扱われる感じに心地よかった。
わたしたちも、先生ではなく、植木さんというようにさん付けで読んでいた。そして、植木さんが、先生と呼ぶのは、怜のパパだけだった。
学校の友達に、「塾、どこ通っているの?」と聞かれて、「無限塾」と答えると、微妙な表情をされる。
隣の市にある小さな塾だからそんなに知られていないはずだが、どうやら変な塾として有名らしい。