藤堂さんの催眠を受けて家に帰ると、左足から何かが外れているような気がした。
そこにあるぼろぼろになったミサンガ、何度も何度も糸で補強したミサンガがついには完全に切れてしまったのだ。
うえっちと交換して左足につけたミサンガが切れたという事は…
『願い事がかなったということなのかな?』
わたしは、もう色もよく判別できなくなったミサンガを手に取った。そうして、思いを込めてつぶやいた。
「今まで、ありがとうね」
アパートの部屋には誰もいなかったので、声が響いた。
ミサンガは切れた、小屋はないけど、心にはある。
わたしたちは、病院のあの小屋で会うのではなく、心のいつもある小屋で会うのだ、17歳の7月7日に。
そして、わたしたちをもはや縛るものはないのだ。
わたしはうえっちを好きだけど、うえっちを縛りたくない。
わたしたちを縛るすべてのものから解き放たれて、そうしてそれぞれの歩みの中で、歩みが交われば交わるし、交わらなければ交わらない。
どちらでもいいのだ、どちらであっても小屋はわたしの中にある。
小屋はわたしとうえっちを繋ぐ絆ではなかった。もっと深いもの、いつもここにあって、わたしを助けてくれるもの、わたしを縛るのではなく、わたしを自由にしてくれるもの…
わたしは、自分の左胸に手のひらを当ててみた。
心臓が力強く脈打つのを感じた。
小屋は、わたしが気づいても気づかなくても、わたしを生かしてくれているんだ。
恐れることはない。わたしの目の前にはすべてが広がっている。
わたしは息を思い切り深く吸って、思い切り吐き出した。
『そうだ、わたしは決心した』
わたしはちょっと泣きそうになったけれども、小さく微笑んだ。
次の日、わたしは母の付き添いで藤堂先生のところに行った。
母は、時間がかかるので、近くのファミレスで待っているように言った。
わたしは、一番奥の窓際の席に座った。ひとりだったから、ドリンクバーではなく、ストレートのアイスティーを頼んだ。
そうして、アイスティーを飲みながら、文庫本でゴールズワージーの「林檎の木」を読む。
自分とうえっちを重ねて、何だか心がきりりと痛む。
でも、もう後戻りはしない。
先に進んで行く。
その時、うえっちの声が聞こえたような気がした。
これって幻聴とか思いながら、声のする方を確かめると、うえっちらしき人の後ろ姿だけ見えた。頭の形からすると、おそらくうえっちだ。
わたしはその席に近づいていった。
わたしの知らないふたりの女の子、うえっち、そして塾で見たことがある佐伯さんが座っていた。
佐伯さんが、言った言葉が耳に入った。
恋愛小説…同じ部の男の子…好きな子がいる…失恋と。
わたしはうえっちに声をかけた。そして、うえっちと付き合うことをやめることを告げた。
見上げると、ガラス窓を通して、空は澄み切っていて雲ひとつなかった。