「昨日、お話を聞いて疑問に思ったことがあります。お尋ねしていいですか?」
「ええ、どうぞ、どうぞ。質問は私の大好物ですから」
「そうなんですか?それは変わった趣味ですね。まあ、それは置いておいて、疑問に思ったのは、確かに、無意識に関して、フロイトの捉え方よりエリクソンの捉え方の方が好ましい気はするんですが、事実はどっちなんですか?」
「なるほど、いい質問ですね。えーと、びっくりするかもしれませんが、事実はどちらということはないんです」
「えっ、どういうことですか?」
「例えばですね、あなたが赤いサングラスをかけて世界を見たら、世界はどう見えますか?」
「そりゃ、赤く見えるに決まっています」
「そうですよね、白い花だって赤く見えるでしょう。では、青いサングラスをかけて見たらどう見えますか?」
「今度は、青く見えるでしょう」
「ですよね、白い花は今度は青く見えるはずです。では、赤く見える世界と青く見える世界、どちらが事実なんですか?」
「いや、かけるサングラスの色によって変わるんだから、どっちが事実なんてないでしょう」
「そういうことになりますよね、無意識をどう捉えるかも同じことなんです。フロイトのサングラスで捉えるか、エリクソンのサングラスで捉えるかということなんです」
「ええっ、そうしたら、どっちが正しいというのはないということになりませんか?」
「いいことに気づきましたね。その通りです。こっちが正しくて、こっちが間違っているというのはないんです。すべてはかけるサングラス次第、あなたの選ぶ物語次第なんですから」
「物語次第って何ですか?」
「そうですね、人は自分の採用している物語というサングラスですべてを見ているんです。ほら、同じことでも男性ならこう見るとか、女性ならこう見るとか、日本人ならこう見るとか、アメリカ人ならこう見るとかあるでしょう?」
「ええ、それは何となくわかります」
「その人が持っている、男性ならこう、女性ならこう、日本人ならこう、アメリカ人ならこうということ=物語で見え方が違ってくるんです」
「そうか、それなら、どれが正しくてどれが間違っているということもないということになるんですね」
「そのとおりです。だから、その人が持っている物語、それは普通の人の考え方という物語だったり、男性らしく女性らしくという物語だったり、日本人らしくアメリカ人らしくという物語だったり、宗教の物語だったり、あるいはアニメの物語だったりしますが、その物語によって、世界も自分も他の人も見え方が変わってくるんです」
「そんなこと許されるんですか!」
「許されるも何も、何が正しくて何が間違っているなんてないですから、そうなります。科学だって、あまり多くないことを除けば、仮説という物語ということもできます」
「はあ、何だか頭がくらくらしてきました」
「そうですか、それはよかったです(笑)」
「笑いごとじゃありませんよ、それじゃ、何を信じて生きていったらいいんですか?」
「いやいや、そんなに真剣に考えることじゃありませんよ。ほら、あなたももしサングラスをかけるなら、時にはいろんな色のファッショングラスを試したくなることもあるかもしれません」
「まあ、そうかもしれないですね」
「それと同じに、物語だって、自分の自由に、その時々で変えていいんです」
「そりゃまた、いい加減な」
「ええ、そのいい加減さに、無意識が働くんです。無意識は自由なんです、その時々でサングラスの色をころころと変えるんです」
「意識はどうなんですか?」
「意識はひとつのサングラスに捕えられがちです。この色こそが真実、事実だと思い込みがちです」
「確かに、そりゃ、不自由だ」
「だから、最初に返りますが、フロイトの無意識の捉え方とエリクソンの捉え方のどちらが正しいという問題ではない、どっちが今のあなたに好ましいかということなんですね」
「頭の中がぐじゃぐじゃにかき回された気がしますが、何だか腑に落ちた気もします」
「おおっ、そりゃまた、無意識の気づきですね(笑)」