無意識さんとともに

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催眠の現象学52 ミルトン・エリクソンの公然たる秘密

トランスに入ることが何になるのと思うかもしれません。

 

トランスに入って、今の自分を変えるために、有効な暗示をかけることが大切であって、トランスそのものはその準備段階に過ぎないという捉え方もあります。

そういう考え方は、意識→無意識の方向であって、結局のところ、意識の望むことを無意識にさせるというものであるのかもしれません。

 

そういう物語もあり得ますが、私は別の物語の方が好みです。

 

その物語では、むしろ、無意識→意識の方向であって、トランスとは無意識が意識に働きかけることなのです。

働くのは、無意識であって、意識ではありません。

意識がなくなるわけでありませんが、意識に休んでいただいて、無意識に積極的に働いていただく、それがトランスなのです。

 

前者の物語では、無意識というのは、意識の従順なメイドまたは執事という感じですが、後者の物語では、無意識は無限の力また智慧なのです。

 

どちらの物語を生きるかは人の自由であり、好みです。

私は後者の物語を生きたいと思っているのです。

 

そういう目で、エリクソンを読んでみると、エリクソンは後者の物語を発見し、自己催眠によって、トランスの中で『生き、動き、存在した』人だということが、明らかに見えてくるのです。

 

(以下、「私の声はあなたとともに」からの引用、←私のコメント)

「患者が話す声の抑揚と調子に、より敏感になるために、またよりよく聞き、よりよく見るために私はトランスに入ります」p.64

「私は彼と面接するために催眠トランスに入っていたということが理解できました。…『エリクソン先生、あなた、トランスに入っているんですね!」p.64

 

エリクソンは、人間離れした観察力の持ち主だと言われていますが、それはトランスに入ることによって身につけられたものだということがわかります。

 

「これはエリクソンのお気に入りの話のひとつで、治療者にとってのトランスの価値を示し、患者にもっとも効果的に対応するための方法を教えてくれている」p.66

「無意識を探れば、対等に渡りあったり、優位な立場に立ったりできるようなリソースを見つけることができる」p.66

 

←この前段で、支払いを渋る患者に対して、エリクソンがワンアップでお金を取ったということが書かれています。その方法に目を奪われがちなのですが、これは「トランスの価値」を示すことが目的であり、「トランスの価値」とは、「無意識を探る」ことなのです。

「無意識を探る」とは意識的に無意識を探ることではありません。

トランスに入ることが無意識を探ることになり、無意識が智慧を、このような方法を与えてくれると強調したいというわけなのです。

 

「椅子にもたれてトランスに入り、あのむずかしい原稿について、無意識が何というか見てみよう」p.67

「私はトランスに入り、彼がしたように適当な時間をとり、無意識に耳を傾けるべきであるということだ…自己催眠に入った」p.67

 

←心に聞くということがうまくいかない場合、「心に聞くこと」自体が目的になってしまっていることが多いのかもしれません。

しかし、ここをよくよく読むと、「心に聞く」ためには、自己催眠によって、トランスに入ることが重要であることが見て取れると思います。

 

「バリ人は市場に行く途中でトランスに入り、買い物をし、向きを変え、家に帰って、トランスから出る、といったことやトランスのままでトランスに入っていない隣人を訪ねたり、ということができます。自己催眠は彼らの日常生活の一部なのです」p.72

「この話は、買い物や、隣人への訪問といった通常の活動を、トランスに入った状態で実行し得るということを示している」p.72

←これは、単にバリ人のことを言っているだけの文章でしょうか?

バリ人はそういう素晴らしい人たちで、私たちとは違うということでしょうか?
そうではありません、この文章は、バリ人にまして、エリクソンのことを言っているのです。

エリクソンは、バリ人以上に、日常生活を、それに加えて、診察や執筆を、自己催眠でトランスに入ってなしていることを暗に示しているのです!これは、まさにエリクソンの秘密です。

しかし、それだけでもありません。

なぜなら、これは私たちのことでもあるからです。

私たちがエリクソンのようになるには、ポリオにかかる必要もなければ、紫色の服を身につけることも必要ないのです。

ただ、エリクソンのように、自己催眠によって、トランスを自分の日常生活を送る住まいにすればよいのです。