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何も聞こえないという状態はどうやら2種類あるらしい。
ひとつは、感覚が麻痺していて何も感じないし聞こえないという状態(2a)。これは、1よりも前に来ることが多い。
ここから、「心に聞くこと」を始めると、2a→1→2b→3という道筋をたどるのかもしれない。この状態では、心に支配と邪魔を排除することが必要なことは言うまでもない。
もうひとつは、心に支配と邪魔の排除をしてもらっていった先に、頭の中に聞こえる声がどんどん減っていく、そしてある時からシーンと静かになって何も聞こえない状態(2b)。
何も聞こえないと状態と言っても、この2つは区別する必要があると思う。
ここでは、2bの状態について書いておこう。
2bの状態はすごく大切なことである。なぜなら、繰り返すが、心の声を聞くとは、いくつか聞こえる声の中からこれが心の声だと正しい選択と判断をすることではないから。
この頭の中がシーンとなることは、瞑想でもそうなることができる。ただ、瞑想はこの静寂そのものが目的地であるのに対して、「心に聞くこと」はそこから先の心の声を聞くことが目的であるという違いがあるが。
シーンと静かになったということは、完全ではなくても、支配者や他の人との脳のネットワークが切断されて、無意識さんとだけ繋がっているということである。
この状態は心の凪だという言い方もできる。
心にあちらこちらから吹きまくる様々な暴風が吹き止んで、凪になり、そこで細いがさやかな声が聞こえてくる。
それが心の声なのである。
心は凪の状態になっているからこそ聞こえてくるのが、心の声であって、逆なのではない。
だから、支配と邪魔の排除をお願いすることが大切なことになってくる。
ということは、もしかしたら、心はこの状態に至って初めて私に語りかけたのではなく、もう前から語っていたのかもしれない。
ただ、他のたくさんの声がやかましく、それらのノイズにかき消されていただけなのかもしれない。
もちろん、心が凪の状態になるといっても、それは悟りのような状態のことを指しているのではない。
悟りは全ての遺伝子スイッチがオフになった特別状態だろうが、心の凪は心に支配と邪魔をお願いすれば遅かれ早かれ到達する状態である。
その状態が数秒であるか、数日であるかは別として誰も到達できるのである。
その時に、心の声がようやく聞こえてくる。最初は、「邪魔を排除したよ」というごくささやかなものかもしれないが、そこを初めとして、私たちは心と会話していくことができるのである。