「イエスセットを少し変えるね。今までも相手がイエスと言ってくれそうなものを口に出したんだけど、今度は、相手にとってどう考えても当然のこと、自明の理を3つ並べ、最後には今まで通り、催眠を喚起する言葉を付け加える」
「自明の理、初めて聞きました」
「自明の理は、最初のうちは、見て聞いて感じての順でやっていくといいよ。まあ、ともかく、学ぶより慣れろでやってみようか?」
「はい」
何だか、新しいことを学ぶことがとても楽しくなってきている。
「佐藤君、君は、今、目の前の僕を見ているね」
「はい」
「外から小鳥の声が耳に聞こえているね」
「そうですね」
「床に自分の足がついていることを足の裏に感じている」
「ええ」
「そうしていると、何だか、瞼がとても重くなっていることに気づくかもしれない」
僕は、今度は、答えることもなく、とても瞼が重くなっていることに気づいて、目を開けていられなくなった。
「瞼の裏には、ぼうっとした明るい光が見えている。
また、自分の吸う息、吐く息の微かな音も聞こえるかもしれない。
顔には、部屋の流れる空気が触れる感触も感じることができる。
そうしていると、心も体も知らないうちに、何だか脱力してしまっていることを発見するのかもしれない」
僕は、心も体も何だか力が抜けてしまったような感覚を覚えた。
「さらに、瞼の裏に、万華鏡のように、いろいろな形やイメージも浮かんでくることもあるかもしれない。
自分の心臓がゆっくり力強く、脈を打っている音も聞くことができるかもしれない。
体がイスにしっかり支えられて、イスに沈み込むような感覚を覚えているかもしれない。
そうして、呼吸をするたびに、心臓が脈打つたびに、さらに深いトランスの中に沈んでいっていることを経験することができる」
僕は、ほとんど、藤堂先生の声が聞こえなくなってきた。夢の中にいるような、でもそうではないような。
「あなたは、幼い頃の最も心地よかった記憶を心の目で見ることができるかもしれない。
幼い頃、遊んでいる時に聞いていた懐かしい音を心の耳で聞くことができるかもしれない。
幼い頃に、幸せにしてくれたそんな匂いを思い出すことができるのかもしれない。
そうして、幼い頃の自分のみずみずしい感覚を取り戻している…そんなことに心を震わせることができるのかもしれない」
僕がまだ本当に小さかった時、おじいちゃんは本当に大きく見えた。そんな大木のようなおじいちゃんが、僕を腕に抱いて膝に乗せてくれて、僕に話しかけ、微笑んでくれたそんな記憶が蘇ってくる。そして、光が射す窓の外は真っ青な空、そして少し開いた窓から漂ってくる金木犀の香り…
そんな幸せな場所に、僕はいて、知らず知らず、頬には温かい涙が流れている。心の氷を融かし去ってくれるような。
「ひとつ、心と体に爽やかな風が流れ込んできまーす」
「ふたつ、心と体がだんだん軽ーくなってきまーす」
「みっつ、1回か2回か3回か、自分で決めた回数の深呼吸をして、スッキリ、エネルギーに満ちて、目を覚まします」
僕は目を開けた。
「おはよう、おかえり。これを君は練習していくんだよ」