「福井君、ちょっと催眠をやってみてもいいですか?」
福井君は顎に手をやってしばらく考え込んだ。それから言った。
「いいよ。怜にもやってもらったことはないんだけどね」
「じゃあ、初めてですか?」
「無限塾で呼吸合わせをしたことはあるけどね」
「じゃあ、呼吸合わせからやりましょうか?」
僕たちは、相互に、息を吸う時は肩が上がり、息を吐く時は肩が下がるのに合わせる呼吸合わせをしばらくした。
「すると、福井君は、今も砂漠にいる感じで、行商人が民にカカシの神を崇めさせている、それを見ている感じなんですね?」
「そうだね」
「それは、楽しいとは言えないかもしれないけれど、楽しくないとも言えないかもしれない?」
「そうだね、そんな感じ」
「では、椅子の背もたれにちょっと寄りかかって、両手は下向きに膝か腿の上に置いて、目は軽く閉じてくれますか?」
「こんな感じでいいかな?」
「そんな感じでいいです…トランスに何度か入った人が言ったんです、『トランスに入っているとあれが無意識によって書き換えられていくような気がする』と。
私たちは、あれの中に生きて、あれを通して物事を見て、聞いて、感じています。
けれども、あれが書き換えられれば、それも変わってくるのかもしれません。
今、福井君、あなたはどこにいますか?」
「怜の部屋の中」
「どこに座っていますか?」
「テーブルの椅子に座っている」
「どんな感触を感じていますか?」
「腰と背中が椅子に支えられている感じを感じている」
「いいですね。何が見えますか?」
「瞼の裏に明るい光が見える」
「どんな音が聞こえますか?」
「上地君の声だね」
「どんな匂いがしますか?」
「オレンジのエッセンスオイルの匂いとかすかな紅茶の匂い」
「いいですね、では、これらの感触、視覚、聴覚、嗅覚に、これ以上ないぐらい浸ってみてください。もう十分浸ったら、うなずいて教えてください」
しばらくして、福井君は大きく首を縦に振った。
「では、左手を上向きにして、そこに、これらの感触、視覚、聴覚、嗅覚をボール状のイメージにして載せていただけますか?できたら、また、うなずいて教えていただけるでしょうか?」
福井君は、またしばらくしてうなずいた。
「そのボールはどんな色でしょうか?」
「明るい黄金色」
「どんな大きさでしょうか?」
「テニスボールぐらい」
「いいですね。では、今度は、右手を上向きにして、手のひらに、福井君の感じている砂漠、行商人、民のイメージをボール状にまとめて載せてみてください」
福井君はこちらから尋ねるまでもなくうなずいた。
「どんな色、どんな大きさでしょうか?」
「灰色でソフトボールぐらい」
「では、両手を胸の前に持ってきて、手を合わせて、左右のボールを統合します。できたら、教えてください」
福井君は、胸の前で両手を合わせ、しばらくしてからうなずいた。
「どんな色、どんな大きさでしょうか?」
「桜色で、サッカーボールぐらい」
「いいですね。では、その桜色のトランスボールを見つめていると、だんだんと呼吸が楽になっていることに気づきます。心臓もゆっくり力強く打っていて、体と心の動きもなくなっていることを発見することができます。
これから、数字を10から数えますが、数字が1になるとスッキリはっきり目を覚ますことができます。
それだけでなく、数字が小さくなりついには1になると、今体験したことをすっかり忘れてしまうかもしれません。
10、9、8、10、7、4、6、7、5、3、4、2、1」
福井君は、目を覚ました。
「どうですか?」
「何だったのだろう、最初の方は覚えているけれども」
「気分はどうですか?」
「何だか、重荷を下ろした感じかな」
「ここはどこかわかりますよね?」
「もちろん、怜の部屋だよね。あれっ」
福井君は何だかとても愉快そうに声を出して笑った。