催眠スクリプト、そう言えば、前にも藤堂先生に催眠をかけてもらった時に、物語みたいなものを語られた気がする。女の子と星を漁って、女の子はいつ間にか対岸にいて、僕は女の子のことを忘れて…という物語。
あれは催眠スクリプトだったのか。
そんな催眠スクリプトが、いきなり、僕の口から出てきたのはどういうことなんだろう。
僕は、無限塾のバイトの帰り際、藤堂先生を見つけて話しかけた。
「お話があるんですが」
「いいですよ、部屋で話しましょう」
もう何回も入ったことのある馴染みのある部屋。
僕は、藤堂先生と向かい合った。そして、ざっと起こったことを話した。ちょっと怒られるんじゃないかとびくびくしていた。
「いいですね、催眠を使えているじゃないですか」
藤堂先生はニコニコ笑いながら言う。
「これで良かったかと不安です」
「心に聞いたんですよね」
「はい、大丈夫と言っている気がしました」
「君の心がそう言うなら、それでOKですよ。何も心配する必要はありません」
「そうなんですか?」
「そうですよ、もっと心を信頼してあげてください」
僕は胸を撫で下ろした。
「僕の口から出てきた物語みたいなものは何ですか?」
「それも心に聞いたんじゃないですか?」
「催眠スクリプトと言っていました」
「そう、その通りです。君の無意識はすごいですね」
「もっと、催眠のこと勉強したくなりました」
「そうですか、それなら…ちょっと待ってください」
藤堂先生はパタパタと歩きながら部屋を出ていった。そして、白い表紙の本を小脇に抱えて、戻ってきた。
「この本を読むといいかもしれません」
僕に本を手渡す。
『ミルトン・エリクソンの催眠療法入門』というタイトルだった。
「僕にわかるでしょうか?」
「もう、スクリプトが自然に口から出てくるぐらい、無意識に馴染んだ君なら、この本に書いてあることは十分わかりますよ」
「読んでみます」
「その本は、君が催眠に上達した記念としてプレゼントします」
「ありがとうございます」
僕は、家に帰るなり、その本を読み耽った。オハンロンという人がセミナーでしたものを書き起こした本で、言っていることはわかりやすいが、ここに書いてあることを身につけるのはかなりの練習が必要かもしれない。
それから、僕は自分のバイブルのように、その本を持ち歩き、休み時間、図書室の貸し出しカウンター、塾のチューター業務の隙間時間、家で、繰り返し、繰り返し、まるで本の中に入り込んでしまうぐらい、読んだ。
そう言えば、不思議なことに、催眠をかけて以来、釘山さんはその話題にも、自分の悩みにも触れることはなくなった。