母と妹は、あの赤い文字事件がいったん落ち着いた後も、僕の人間関係にピリピリするようになった。
「優、これは何なの?」
母と妹は、Rさんが僕にくれたトトロの置物と、さらに、Rさんが写っている写真を手にして言う。
「いや、何でもない。返して」
「返せない。何なの、この人は?どういう関係なの?」
「お母さんには関係ないよ」
「お兄ちゃん、この写真の人、気持ち悪いんだけど」
「お前は人のことをそんな差別的に見るの?」
「そういう話じゃなくて、なんか発しているものが…」
とにかく、ふたりは何やかんや言ってきて、返してくれない。
まあ、いい。特に問題はない。
そう思って、もう話をしても無駄だと背を向けた瞬間。
「絶対に許さないからね、こんな女と付き合うことは」
母の声が僕の背に突き刺さる。
そんなことがあった後、僕はいつものように、御堂の脇のベンチでRさんと座っていた。
「すごいことがあったのよ」
「そう」
僕はあまり関心なさそうに返事をした。
「すごいヴィジョンを見たのよ」
「ああ」
そんな言い方をするのは、いつものことだったから僕は生返事をした。何だか眠くてたまらなかった。
「教会で祈っていた時、イエス様が現れて、私はイエス様に誘われて、イエス様と〇〇○したのよ」
「何だって!」
僕はあまりのことにベンチから飛び上がるように立ち上がった。
「驚くのも無理はないけど、イエス様の花嫁として選ばれたのよ」
「そんな話じゃない!」
僕は声を荒げた。顔も真っ青になっているに違いない。
「どうして?」
Rさんはピンとこない表情をしている。
「言っていることがどれだけ冒涜的なことかわからないのか!」
「…」
『気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い』と言う声が、僕の中で声帯が壊れるほど叫んでいた。
そういう女性たちが教会の歴史の中で現れたことは、知識として知っていた。中世の女性の神秘家たちはそういう体験をしたが、みな異端認定された。
けれど、知識的にそんな判断をしているのではない、とにかく、おぞましい。
聖なるものを汚す最大限の罪、そういうふうにしか捉えられない。
僕は、その場から立ち去ろうとした。
Rさんは逃げようとする僕の手をつかんでくる。
「待って、まだまだあなたが必要なの」
「もうたくさんだ」
僕は手を振り払って、逃げ去る。
Rさんも駆け出して追ってくる。
そうして、僕の腕を信じられないぐらいの力で掴む。
「ついていけない、気持ちが悪くてしかたないんだ。もう付き合えない」
「…わかったわ、今までありがとう。わたし、絶対、有名になるから。あなたがいなくても、聖霊刷新の世界で上にのぼりつめるから」
「勝手にしろ!」
僕は、緩んだ手を再度振り払って、全力で走った。
向こうから走ってきた車にぶつかりそうになったが、そんなことはおかまいなしだった。
そんなことはどうでもよかった。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
全てが気持ち悪い、RさんもKさんも、自分さえも、何もかも。
僕の周りの景色は流れていく。
いっそのこと、この体ごと脱ぎ捨てて、楽になりたかった。