ここで話を戻します。
15で催眠についてこんなことを書きました。
1 物語を物語にすぎないと知ることができるようになること
催眠(現代催眠、エリクソニアン催眠)は【催眠】を解く催眠だと言いました。
その意味は、こういうことなのです。
つまり、私たちは支配者に支配されてある物語をこれこそ唯一絶対の正しい物語、現実そのものだと思い込んでいますが、催眠はそういう【催眠】に揺さぶりをかけます。
例えば、親なるもの、宗教、その他の支配関係でかけられている催眠には、善悪の物語があります。
何が善で何が悪なのか、という物語です。
これは、支配者が被支配者を支配し、束縛するのに実に強力な物語だということができます。
そして、善には報いを、悪には罰を持って臨むのです。
しかし、この支配者の善悪の物語は、家庭ごとに、地域ごとに、階級ごとに、国ごとに、宗教ごとに…違っていることが明らかです。
けれど、こういう善悪の物語に洗脳され、マインドコントロールされ、支配され、支配者と瓜二つにコピーされた人は、これこそが唯一絶対の物語だと信じ、支配者の代わりに他の物語を信じる、違う家庭、地域、階級、国、宗教…の人たちと競い合い、戦い合い、憎み合い、殺し合います。
催眠は、こういう【催眠】を解くものです。
もちろん、だからと言って、善悪の区別というものを全否定するわけではありません。
それもまた、ある役目を負っている、ある範囲においては役に立つものでしょう。
けれども、それは決して唯一絶対の物語であって、単にある範囲でうまくやるためにつくられた物語にすぎないと、催眠は【催眠】を解いてくれるのです。
だから、そういう物語にこだわる必要はなく、違うところ、違う家庭、違う地域、違う階級、違う国、違う宗教…に行けば、あるいはそういうところからの人に出会えば、私は自分の物語から自由で出たり、入ったりすることができる自由を得るのです。
2 物語を自分の選択でチェンジできるようになること
【催眠】にかけられている人は、たった一枚のCDを始終かけているようなものです。
たった一枚のCDしかないので、他から聞こえてくるCDの曲は、悪魔の音楽だと、あるいは音楽ではないのだと信じ込んでしまうのです。
ところが、催眠によって【催眠】を解かれてしまうと、CDを選択することができるようになります。
昔、CDチェンジャーというものがありました。CDを100枚ぐらい入れて、自分の気分次第で、その時の気分に合ったCDを、自由自在にかけることができるのです。
無意識のCDチェンジャーは無数のCDがあるのです。
無数の物語から、その時、その場の状況、その人間関係、その目標などに合わせて、一番ぴったりの物語を選ぶことができるのです。
たった一種類の物語しか持っていない人からすれば、これほど、不真面目な不謹慎なことはありませんが、まさにそのたった一種類の物語しか信じないことこそ、支配であり、束縛であり、硬直性なのです。
それは、支配者の意識によって、自分の意識に【催眠】をかけられた状態です。そういう【催眠】をかけられた意識は矛盾が許せません。
考えてもごらんなさい、数学や科学でさえ、矛盾するように見えるものがあります、例えば、ユークリッド幾何学や非ユークリッド幾何学、ニュートン力学と相対性理論…
一種類の唯一絶対の物語に縛られていれば、矛盾は許せませんが、そこから解放されて、複数の、無数の物語があることからすれば、矛盾ではないのです、なぜなら、それは違う物語のですから。
実は、そういう矛盾が気になってやまない状態の裏には、善悪の物語があるのです。善悪の物語は、正誤、何が正しくて何が間違っているという物語とも言えますから。
こういう【催眠】から解き放たれた時、私たちは、一切の制限がなくなって、自由を得るのです。