無意識さんとともに

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支配からの卒業〜私が私であるために 4 人に嫌われるのが怖くてたまらない⁈

つい先日、急に、人に嫌われることが怖くてたまらなくなりました。

そんな時に、『嫌われる勇気』なんていう流行った本のタイトルを思い起こして、なけなしの自分の勇気を振り絞ってこの恐怖に立ち向かおうとしたのですが、どうやっても無理です。

そんな私の小さな勇気でどうにかできるような恐怖ではなかったのです。

矢も盾もたまらず、心に支配と邪魔の排除をお願いし、さらに、「心よ、この感情をオリジナルに返してください」とお引き取りを願いました。

すると、しばらくして、あんなに自分を圧倒するほどに思えた巨大な恐怖はいつの間にかなくなっていました。

それから、自己催眠でトランスに入って、無意識さんに、いつの間にやら、人に、支配者にまたぞろつないでいたエネルギーラインを、また、無意識さんのエネルギー源にしっかりつなぎ直してもらいました。

 

ちょっと落ち着いてから、今さっき感じた恐怖を思い返してみると、何だか、人に嫌われる恐怖というのは、餓死の恐怖に似ているなと思いました。

人とつながることで感情的なエネルギーを得ていて、事実か妄想かは別にして、人に嫌われてつながりがなくなることで、そのエネルギーが断ち切れて、餓死するような、呼吸できなくなるような恐怖。

 

そして、どうやら、これも支配の一形態のようです。

 

支配者に支配されているなら、そこに目に見えても見えなくても集団があり、仲間がいて、支配者と私だけではなく、私と他の仲間もへその緒のようなものでつながれていて、感情的なエネルギーが行ったり来たりしているのかもしれません。

 

支配者と支配との関係は、前に書いたような、善悪正誤だけではなく、この感情的なエネルギーでもあるようなのです。

 

そして、心を、無意識を知るまでは、支配者に支配されて、支配される代わりに、善悪正誤という生きる基準と目的を与えられ、それだけでなく、その基準と目的を達成する感情的なエネルギーも与えられていたのかもしれません。

 

だから、支配者や仲間に嫌われて、エネルギーを断ち切られるというのは死活問題だったのです。このエネルギーがなければ、貧しくても清く正しく支配者の望む通りに生きることができないのですから。

 

従って、支配者、親や神に好かれる、嫌われるというのは大問題になるのです。

私は、本当の私から離れて、支配者のいい子ちゃんをどこまでもいつまでも演じ続けなければ、生きることができない、そんな気がしてしまうのです。
そのうち、いい子ちゃんの仮面も引き剥がせなくなって、本当の私などあるものやら、自分のしたいこととか意志とかあるものやら、もうわからなくなるほど支配されて、ひたすら支配者の瓜二つのコビーを演じ続け、感情的なエネルギーをお小遣いとしてもらって、支配者の人生を生き終えるのでしょう。
あるいは、いい子ちゃんを演じることができないならば、そうして悪い子ちゃんで支配者や仲間に好かれなければ、失敗者、出来損ない、落伍者になって、生きることができない、もう死ぬしかない、そんなふうに思ってしまうこともあるのかもしれません。

 

それに、『嫌われる勇気』を持って立ち向かえというのは確かにその通りなのですが、そんなことができる人間など、どこにいるかと思ってしまうのです。

そして、そのためのエネルギーはどこから得るの?

支配者という保護者を失ったらどうやって生きていくの?

 

そうして、一瞬、『嫌われる勇気』を持っては見たものの、腰砕けに陥ってしまうのかもしれません。

 

しかし、あなたには、心が、無意識さんがいるのです。

そして、心はあなたの代わりに、実際に、支配と邪魔を排除し、エネルギー源を支配者のエネルギーから無意識のエネルギーに切り替えてくれるのです。

 

そんなうまい話があるでしょうかと思うかもしれません。

 

けれど、あるのです。

 

あなたがすることは、心に支配と邪魔の排除をしてもらい、恐怖をオリジナルの支配者に返してもらうように願い、催眠や自己催眠のトランスの中で無意識さんにエネルギーを切り替えてもらうだけなのです。