無意識さんとともに

https://stand.fm/channels/62a48c250984f586c2626e10

鬱からの回復(回復へのロードマップ)20 無意識と意識の二人三脚

「私はあなた方を友と呼ぶ」

心は、無意識の私であり、意識の私と対等だと言いました。

心は、私たちが付き従う主人ではなく、まして私たちが利用する奴隷でももちろんなく、私たちと自由に交わる友なのです。

友達同士がお互いを知って、心を分かち合い、親しくなっていくのは、インスタントにできることではありません。

同じように、心と友達として知り合ってから親友になるまでは時間がかかります。

もちろん、普通の友達同士が、誤解やいさかいや喧嘩をしながら仲良くなっていくように、心と親しくなっていくのも同じです。

友達同士、対等なのですから、疑問に思ったことや理解できないことは尋ねていいのです。それでも納得できないことは、無理に意見を合わせる必要もないのです。

そういうありのままの付き合いの中で、見せかけではなく、本当の親友になっていくのです。

無意識と意識の統合とは、こういう対等な関係の中で起こることですから、一方がなくなって他方に吸収されることではないし、それぞれがなくなって違うものになってしまう融合でもないのです。

無意識と意識の統合とは、無意識と意識が親しくなっていくことにすぎません。

意識は意識で大切な役割と機能があるのです。ですから、無意識と意識が親しくなっていっても意識が消えることはありません。

催眠の中においても、意識が消えることはないのです。

意識がまったく消えてしまうのが催眠だと思っている人がいるようですが、催眠の中でも意識は失われることはありません。

支配者は、この点も否定させようとします。

宗教やオカルトでは、意識は邪魔者なのです。

ですから、「頭を空っぽにして、自分を完全に捨てて」などと言います。

けれども、意識を捨てて働くのは、支配者のネットワークであって、無意識ではありません。

無意識はいつも、意識とともに働いているのです、呼吸をさせ、心臓を動かし、血液を循環させているのです。

意識を捨て、意識がぶっ飛んだトリップ状態が無意識なのではなく、それは支配者のネットワークに取り込まれた状態にすぎません。

もちろん、夢のような状態になることはあるでしょう。けれども、その夢のような状態の中でも意識は意識として働いているのです。

決して、意識がなくなった、自分というものがわからなくなった状態ではありません。

無意識の暴走ということが言われます。

意識が飛んでしまって無意識に飲み込まれてしまい、奇跡や予言など不思議なことが多発する現象です。本人の人格も何だか変わってしまいます。

そうして、そういう状態に憧れる人たちもいて、宗教やオカルトはそれを売り物にします。また、そういう状態を売り物にする【催眠】もあるかもしれません。

けれど、それらを起こしているのは、無意識ではないと、今の私は考えます。

無意識ではなくて、どこかで支配者が無意識になりすまし、支配者のネットワークに意識が取り込まれたのです。

それを無意識の暴走ということによって、支配者は、『無意識は恐ろしいものだ』、『無意識、無意識と信頼していると大変なことになるぞ』という思い、あるいは逆に『無意識はすごいものだ』、『無意識の力で神のようになれる』という思いを吹き込みたいのです。

そのような支配者の試みは、例えば、フロイトならば、無意識を本能や性欲の抑圧されたものであり、無意識を解放するならば私たちは理性のない原始人のようになるという恐れ、ユングならば、無意識を集合無意識として捉え、さらにそこに人間を超える力、超能力や霊能力のようなものを見出してそれに取り込まれてしまう魅了となって現れます。

つまり、それらは、いずれにしても、無意識の暴走ではなく、支配者のなりすましだということです。

無意識は暴走しません、人間を人間以上のものにもしません。

なぜなら、無意識はもうひとりの私であり、意識の私と対等だからです。

無意識の私と意識の私は、お互いを知り合って、親しく交わって、誰よりも親しい親友になっていく、それが無意識と意識の統合だからです。