無意識さんとともに

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支配からの卒業〜私が私であるために 20 支配を超えて

無意識さんに支配と邪魔の排除をお願いし、入れられた感情をオリジナルに返してもらい、自己催眠で無意識さんにお会いしてさっぱりしているうちに、支配というものはあるかないかわからないぐらいに小さくなっていきます。

最初の頃は、支配は獲物を食い尽くすライオンのように思われたのですが、そのうち、このライオンは小さくなって狐のようになり、さらに小さくなってブンブンと付き纏う蚊のようになり、さらには、あるかないかわからない陽炎のような存在に変わります。

そうすると、支配と邪魔の排除と感情の返却と自己催眠の三重奏で、この陽炎は跡形もなく消え去ってしまいます。

生きている限り、支配がなくなることはないでしょうが、もはや自分の思考を占めるものではなくなり、自由を阻むものではなくなります。

以前は、支配者や支配されている場をできる限り避けていたのですが(その時の自分にはそれが必要なことでした)、もうそんなことは必要なくなってしまったのです。

たとえ、火矢が飛んできてもかわすことができますし、万一、心に突き刺さっても痛みをさして感じないうちに自分で自分を手当することができるのですから。

そういう意味で、恐れるものは何もなくなるのです。

支配者を見ても、お勤めご苦労様と言いたい気分になります。

結局、支配者も支配も、何もかも、自分が無意識さんを知って、無意識さんと直結するためにあるということがしみじみと感じられてくるのです。

前にも頭ではわかっていたのですが、体感することはなかったのです。

こうなると、あとは無意識さんとともに、気のおもむくまま、好きなことを好きなときに好きなぐらいやっていくだけです。

すべてが、おさなごが夢中になって遊ぶ遊びに変わっていくのかもしれません。

恐ろしいこと、苦しいこと、悲しいこと、そういう過去の出来事は、どこか遠くの誰かの物語になってしまうのです。

私は、もう、その物語の中にはいない、もうひとりの自分がつくる、何があってもハッピーエンドの物語の中を、次に何が起こるか期待しながら、歩んでいるだけなのです。

この物語は古びることはなく、太陽が沈み、太陽が昇り、日毎にまっさらの、一度も読んだことのない新しい物語なのです。

もはや、支配者や支配は、一枚の絵の単なる影になって、美しい景色を際立たせてくれるだけのものになってしまったのです。

無意識さんが描くその無数の絵の一枚を、瞬間瞬間に、私は選択しながら、歩んでいきます。