(これはフィクションです。登場人物など現実のものとは関わりがありません。)
私たちはそんなふうにして、何とかして色々なことを祈って誤魔化しながら、付き合いを続けていた。
時々、光が東京の私の教会に来ることもあった。
「ともちゃんの教会にも行ってみたいの」
光は無邪気にそう言う。
私の教会は、東京でも大きなカリスマ派(しるしや不思議を重んじる)の教会だった。
中央線のとある駅の住宅街の中にある。
初代牧師は、神学校に行くこともなしに、自分独自の聖書研究と祈りによる体験で教会を建て上げた。
今でも、初代牧師、岩本先生のテープはきちんと保存されて貸し出されている。
長老を始め、高齢の人たちは岩本先生を慕い続けている。
教会に新来者がやってくると、年配の人たちは岩本先生のテープを聞くように勧めてくる。
何を隠そう、私もそうだった。
千本以上ある岩本先生のテープを聞き込み、特に気に入ったテープはダビングして手元に置いていた。
二代目の牧師の川辺先生は、岩本先生の弟子だった。
とにかく、岩本先生の教えに忠実だったが、あとは優しくて、温かな包み込むような人柄の人だった。
大陸生まれということで、何だか鷹揚な感じだった。
私が会った時は膵臓がんでもう弱っておられたが、私の悩みを聞いて、両手で私の手をすっぽりと包み込むようにしてくれて祈ってくれた。今もその手の温もりを思い出せる気がする。
三代目が現在の牧師で、神学校を出たばかりの川辺先生の息子だった。
教会は今まで岩本先生の独自な教えに沿っていたし、年配の人たちは岩本先生の教えで信仰を全うしたいと思っていたが、彼は、福音派のスタンダードな神学に教会を方向転換しようと考えていたようだ。
そのため、ことあるごとに、教会の中がぎくしゃくするのだった。
光は、そんな私の教会を訪れてみたいと言う。
ある意味は、無理もない。と言うのは、私は岩本先生のダビングしたテープを光に送っていた。光も岩本先生のカリスマに魅せられて、ぜひ、うちの教会を実際にその目で見てみたいと願っていたのだ。
私もそれに同意しない理由もない。けれど、理由もないのだが、何となく、心に黒雲が立ち上る感じもあった。
東京駅の人混みの中で、光と私は待ち合わせをした。
「ともちゃん、ここだよ」
人がたくさんいても、女性にしては背が高い方の彼女をすぐに見つけることができた。
光は駆け寄ると、両手で私の手を握る。
「会いたかったよ」
そういう光の顔は、小さな子どものようだった。
私は、その顔の表情に引き寄せられつつも、何かが起きる、そんな感じがしてならなかった。