無意識さんとともに

https://stand.fm/channels/62a48c250984f586c2626e10

催眠の現象学2〜集団催眠?

昨日、講座を受けている人たちと練習で、オープンダイアログ(参照https://project.nikkeibp.co.jp/behealth/atcl/feature/00003/091500233/#:~:text=Open%20Dialogue%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%8C%E9%96%8B,%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A0%E3%80%82)のようなディスカッションをしました。

10人ぐらいで、私が進行役をさせていただきました。

私は、ふだん、1対複数のコミュニケーションが苦手です。

ネット上の打ち上げさえも、数分で脱走したことがあります。

自分だけだと、あるいは1対1だと、無意識さんの動きを感じることができるのですが、そういう人の集まりの中にポンと入れられてしまうと、人が何を考えているか、または人が自分を見る目が気になったりします。

それで、耐えられなくなって逃げ出したくなるのです。

けれど、昨日の集まりは不思議な感じでした。

そういうものは感じず、無意識さんがその場に満ちているような感じでした。もう少し正確に言えば、ひとりひとりの無意識さんが鏡のようにお互いを映し出し、お互いを照らし出している感じがしたのです。

そういう、無意識さんが重なり合い、響き合っている場では、何を言ったとしても許される感じ、安心な感じがしたのです。

そして、実際も、クライアント役もディスカッションする方も、心の深みにあるものを何でも、そのまま、分かち合っていたようでした。

意見を合わせなくちゃとか、これは言わない方がいいなとか、そんな気遣いがなくて、それぞれの個性として、それぞれ違う人間として、いろいろなことを言っていたのです。

ある意味、言葉の限界さえ超えていたようでもありました。

言葉で表せないけれど、胸の奥深くにあるもの、それを感じて、言葉に表せないけれど、そういうものってあるよねとお互いがわかってくれているような、そんな感じです。

あとは、上も下もない、対等な感じが場にありました。

それも、対等でいようねということではなくて、知らず知らず、無意識さんによって自ずから対等になっているような。

終わったら、眠くて眠くてたまりませんでした。

そうして、この頃、よく無意識さんに言われているキーワードを思い出しました。

「何でもいい、何でもすべてが許されている」
自分の中の何かが外れて飛んでいって、緩んで脱力してしまったようです。