無意識さんとともに

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催眠の現象学15 トランス中毒?

自己催眠ができるようになると、もう、いつでもどこでも自分に催眠をかけてトランスに入ることができます。

ミルトン・エリクソンの晩年の弟子であるW・H・オハンロンは、「自分はトランス中毒です」(「ミルトン・エリクソン催眠療法入門」)と言っていますが、
これはやばい言い方ですね。麻薬中毒アルコール中毒…のように、〇〇中毒というものにはいい意味は普通ないのですから。

でも、トランス中毒というのは、例外的にいい意味です。

トランスというのは、頭がトリップしたようなイメージを浮かべる人もいますが、トランスというのはそういうものではありません。

瞑想がうまくいった時、ヨガがカチッとはまった時、頭の中が静かでしかもエネルギーが感じられるような凪の状態がトランスです。

そうして、人は一日中で、こういう凪であるトランスに出たり入ったりしています、例えば、映画や読書に没頭している時、自然などの美しさに我を忘れている時、眠りに入る時のまどろみの状態…。

そういう意味で、トランスは、催眠術が間違って想像させるような特別な状態ではありません。

ただ、もちろん、このトランスには浅い、深いということはあり得ます。

だから、催眠でトランスに入る経験を重ねていくと、トランスは浅いものから深いものに次第になっていくのです。

さらに、催眠を何度も何度も体験して、自分でも自己催眠ができるようになっていくと、最初に言ったように、いつでもどこでもトランスに入っていくことができるようになるのです。

そういうトランスにできるだけ何回もより長く入ろう、いやむしろトランスの中で生活してしまおうというのが、オハンロンのいうトランス中毒の意味です。

では、トランス中毒になるメリットは何なんでしょう?

トランスの中に入ってただぼうっとしているのでは、単なる時間のムダなのではないでしょうか?

他の〇〇中毒のような害はないとしても、単なる逃避なのではないでしょうか?

そんな声も聞こえてきそうです。

そうですね、実は、トランスに入っていない時の意識的なあなたは、ほぼあなたではないのです。

意識的なあなたは、『あれはどうしたらいいだろう?』とか『こんなんじゃダメだ』とか色々な声が頭の中に飛び交っています。

それは、自分の声だと信じて疑いません。

けれど、それはあなたの声ではないのです、あなたの声ではなくて、あなたの声のふりをした支配者の声にすぎません。

そうして、そのぐるぐるを意識のあなたで止めようとしても止められません。

ただ、トランスに入って、無意識さんと対面した時、その声は消えるのです。

「無意識さんと対面するですって?幽霊でも見るように、何か神秘的な体験をするのでしょうか?」

そうではありません。

無意識とは、無である、透明無色な鏡なのです。

トランスに入ると、この歪みが一切ない鏡を見ます。

この鏡を見るとき、そこに映るのは、本来のあなた、支配者の影響のないそのままのあなたを見ることができるのです。

その時に、『ああ、これも私のものではなかった、あれも私のものではなかった」と本来の自分のものではない、色々なものがポロポロと剥がれ落ち、抜け落ちていきます。

そうして、あなたは鏡の中のあなたに近づいていくのです。

それが意識と無意識の統合ということです。

それから、あなたは変わっていくでしょう。

けれど、それは意識的なあなたがこうありたいと望んだ変化ではないかもしれません。

なぜなら、支配者があなたの声のふりをして望んだ変化は解放ではなくて、かえって束縛でしかないのですから。

私も自己催眠を始終、使って、もっともっとトランス中毒になりたいと思っています。
このトランス中毒者の会にあなたも加わりませんか?