私と光は、まるで原爆投下後の地を彷徨う幽霊のようだった。
『長崎のあの大浦天主堂でミサをあげていた信者の上に、原爆が炸裂した時、そこにいた信者たち、男も女も幼いものたちも、その一瞬のことに『神様』と呼ぶことができたのだろうか?』
私は、荷物を取りに廊下を歩きながら、関係があるのかないのか、そんな言葉が脳裏にこだました。
こんな時こそ、信じているなら「神様」と叫ぶべきだろうが、心が死んでしまったようでその一言も浮かべられない。
部屋のドアを開けると、そこには種崎兄弟がちっぽけな丸テーブルに本を置いて木のイスに座っていた。
私の方を見上げると、たちまち、驚愕の表情を浮かべた。
「どうしたんだい?顔が真っ青だよ」
そう言われても、何も言うことができない。窒息死しかけている魚のように、口をぱくばくするだけだ。
「ちょっと、横になった方がいいんじゃないのかな」
そう言われて、私は脂汗を流しながら、自分の全力を振り絞って、ただひとこと口にした。
「急に帰らなければならない用が」
「…そうか、わかった」
今、思い出しても、彼がなぜそれ以上聞いてこなかったのかはわからない。けれども、私は、その言葉で、震えながら、荷物を無造作にボストンバッグに詰め込んだ。
「また、今度、話を聞かせてもらうから。今は早く帰ってゆっくり休んだほうがいいよ」
その言葉を背にして聞きながら、部屋のドアを開けた。
そこには、ポニーテールにしていた髪を解いた光が、ボストンバッグを両手の指で吊り下げて立っていた。
私は、右手で光の左手をこれまでにないぐらい強く握りしめると、駆け出した。
「早く、早く、早く。後ろを振り返ってはだめだ、塩の柱にならないように」
光も何も言わずに、私の手を強く握り返して、一緒に走った。
途中、教会の人に何人かあったが、私たちの顔を見ると意外そうな表情を浮かべた。
その表情の意味するところが何だったのか、今もわからない。
次の集会が始まりかけているのか、神を賛美する声がどこかしらか聞こえた。
しかし、今の私には、それが自分を呪う歌声のようにしか聞こえなかった。
ホテルを出て、私たちは走って近くの駅にまで着いた。
光は、私の肩をいきなり両手でつかんで、激しく揺さぶった。
「私たちは何も悪いことはしていない…でしょ?」
光の青白かった顔は、早くも薔薇色がさしていた。
「光はそうだ、でも私は…」
もう何もかも言ってしまいたかった、私が取引でスパイ役をさせられていたこと、けれど、それは決して言ってはならないことだった。