前の方の席に座ることは諦めて、僕は一番後ろの方の席に座る。
『聖霊が本当に神様なら、位置が前とか後ろとか関係ないはずだろう』
そう思ってみるものの、何だか残念なような気がしてならなかった。
『明日の朝の集会は、始まる1時間前には来なきゃ』
「日本人の方ですか?」
急に、僕の隣に座っていた60代ぐらいの上品な紳士が僕に話しかける。
わざわざ日本人かどうかと聞いてくるのは、たぶん、中国人も韓国人もいるので見ただけでは区別が全くつかないからだろう。
「そうですけど」
「私は大橋と言います。こちらが妻です」
そう言って奥さんを紹介されたが、おそらくその紳士よりも20歳ぐらい若く見えた。
ふたりとも、この騒然とした集会の中では、とても静かで控えめな雰囲気だった。
話してみると、ふたりとも、カトリック信者で、東京四谷のI教会に行っていると言う。
紳士は、T大合格者も輩出する有名な男子進学校のG学園で英語を教えているとのこと。
なんで、そんな人たちがここに来ているのかはわからない。
「単調な信仰生活に飽きてしまったんです。そして、神の力を体験したいと思ってここに来たんです、私も妻も」
そう、みんな力を求めているのだ。それは、世間の人であってもキリスト教を信じる人でもかわらない。力は、お金だったり、地位だったり、名誉だったり、そして神だったり、それなのに、僕たちキリスト教信者はそれが素晴らしい特別なことだと思っているが、本当なのだろうか?
そんなことを思っていると、ベースとドラムの音が鳴り響き、皆立ち上がって、両手を上に掲げて神を賛美し始めた。
僕も、そして大橋夫妻も、まるで自動人形のように、賛美し始めた。
”You came to the banquet of your loving FATHER!"(あなた方は、愛する父の宴会にやってきたのです)
"Call your FATHER and receive his BLESSING!"(父なる神を呼んで、祝福を受けよ)
音楽リーダーが叫ぶ。ライトが暗くなる。
”FATHER, give me your BLESSING, BLESSING, BLESSING."(父よ、あなたの祝福を与えてください、祝福、祝福、祝福を)
皆が叫び出す。
急に、その場に倒れて笑い出だす人もいる、異言を語り出す人もいる、ジャンピングする人もいる、酔ったようになって踊り出す人もいる。
狂乱、狂乱、また狂乱。
僕は、それを見ながら、自分も叫びながら、跳ねながら、対照的に、不思議なことに、心は異様に冷めている、いやいやますます冷たくなっている自分がいる矛盾を感じている。