『冗談のひとつも言えやしない』
どこからか、そんなふうに自分を責める声が聞こえてくるんです。
クソ真面目で何の面白みもない人間、その声は立て続けに言ってきます。
誰がそんなことを私に言っているんだろうと思ってみると、記憶の中のワンシーンが浮かび上がりました。
母親です。
「お前は本当につまらない人間だね」
そう言われた言葉と、そう言った時の顔の表情までがありありと浮かんでくるのです。
ああ、これも一種の呪いなんだろうなと思います。
心にそう気付かされた時に、この呪いも帰るべきところに帰っていったようです。
今まで、自分がクソ真面目なつまらない人間であると思い込んでいました。
いや、正確に言うと、クソ真面目でつまらない人間の役割を背負わされたいたということなのでしょう。
そうして、そんなクソ真面目でつまらない自分を、『自分は、冗談のひとつも言えやしない』人間だと、親から入れられた呪いを、今度は自分でそのまま自分を呪っていました。
「お前はつまらない人間だね」と言われて、「つまらない人間で悪いか」と心の中でいつも言い返していましたが、
そういうことさえも、やはり自分を呪うことであったのかもわかりません。
今は、同じことを言われたとしたら、黙って微笑み返す自分が浮かんでくるのです。
自分がつまらないクソ真面目な人間か、自分が面白いふざけた人間か、誰が決めるのでしょう?
他人はそんなことを決めることはできないし、自分さえそんなことを決めることはできないのかもしれません。
『あなたはなにものでないのだから』
そう、心は私に言ってきます。
『あなたは流れる川の水面のように、いろいろなものを映しきらめかせながら、それらを後にしながら、形を変えて、絶えず流れていく。それでいいんだよ』
心の言っていることはわかるような、わからないような気がしますが、そう思っていると何だかホッとするような、力が抜けるような気がしてきます。
親が思う自分、人が思う自分、自分が思う自分…それはその時、その瞬間、水面に映るものであって、あえて否定することもない、ただ、それを後にして川は止まることなく流れていくんです。
『あなたは川の水面に映るものではなくて、川そのものなんだよ。そして、高き山から広き梅へと流れていく。それをただ楽しめばいいんだよ、水面に映るものも、その底流にあるものも全部含めてね」
頭ではわからないのですが、自分の奥のそのまた奥から、YESという思いが湧き上がってくるのです。