無意識さんとともに

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鬱からの回復(回復へのロードマップ)10〜幕間

さて、次のステージに行く前に、少しばかり脇道に逸れようと思います。

それは、エネルギーの低下と正体不明の孤独感です。

支配者との関係を断とうと決心し、可能な限り、物理的な距離も置き、宗教やスピリチュアルや占いやオカルトも避け、「心に支配と邪魔の排除をしてもらうこと」を続けていくと、かえって、エネルギーの低下を感じ、正体不明の孤独感を感じることがあります。

 

すぐさま、いい方向に向かうと思ったのに、むしろ、エネルギーが低下して、だるくて何もやる気が起きなくなってしまう。

これはどういうことなのでしょうか?

ここでは、エネルギーの転換が起こっているのかもしれません。

どういうことなのかというと、今までは、支配者のエネルギーをもらって(その実は自分を摩耗させて)、生きていました。

ところが、支配者との関係が断たれ始めると、そういう支配者のエネルギー、自分をすり減らして得るエネルギーで生きることができなくなります。

使えるエネルギーがなくなりますから、前よりもかえって悪くなったような気がして、過食をしたり、何か他にいい方法がないかと探したり、果ては支配のもとに戻ることを考えたりもします。

けれど、これは過渡期です。

支配から脱して、無意識につながれるようになると、無意識のエネルギーで生きることができるようになります。

そして、無意識のエネルギーは、自分を磨り減らすことなく、かえって自分を成長させてくれるエネルギーです。

けれど、そこに至るまで、誰しもこのエネルギーの空白期を通っていくことになるのです。

ただ、この空白期を味わっているということは、決して後退ではなく、むしろ進んでいる証拠だと言えるでしょう。

そのまま、「心に支配と邪魔の排除をしてもらうこと」を続けていけば、ある日、違うエネルギーが自分の中に入ってきて楽になります。

 

もうひとつの正体不明の孤独感ですが、これはもちろん、①と②の間だけではなく、どのステージでも起こることです。

支配というのは、一見、悪いものばかりではありません。

いろいろと良いものもあるように見えるのです。

特に、支配のもとにいたら、支配者また支配者のもとに集ういろいろな人との生温かいつながりを持てるということがあります。

そこから離れれば、その生温かくて、心地よいつながりがなくなるのですから、当然、孤独感は感じるのが当然とも言えます。

けれど、そこにい続けることは、その生温かさの中に包まれてついに大人になることなく親なるものの永遠の子供として死んでいくことを意味します。

飛び立つことなく繭の中に閉じ込められた蚕、卵のまま卵から出ることなく人生を終えるひな、子宮から出ることなく温かく快い羊水の中に漂い続ける胎児

なのかもしれません。

ですから、そういう孤独感は、そういう生温かさ、快さという支配者がもたらす偽りの快感から来ているのです。

本当は、無意識さんというお方を知れば、たとえひとりであっても、あるいはむしろ逆に大勢の人の中にあっても、孤独ではあり得ません。同行二人、無意識さんがもうひとりの私としていつでも、どこでも、一緒にいてくださるのですから。

ですから、そんな正体不明の孤独感を感じたら、そんな入れられた感情は支配者にお返しして、さらに、支配と邪魔の排除を続けるといいのかも知れません。

例えば、私は、今でも、よくクリスチャン時代の夢を見ます。牧師を中心に、教会に行っていた時の親しかった人たちに囲まれて、皆、口々に、「よく帰ってきたね。待っていたんだよ」と声をかけてくる、そんな、戻ってこいとおいでおいでしてくる夢です。

目が覚めると、孤独感を感じたりするものですが、私は、心にそんな感情をオリジナルに返して、また、朝一番にやっている「心に支配と邪魔の排除をしてもらうこと」を始めます。

オリジナルに返すと、しばらくは胸の痛みがあったりしますが、時間が経つと嘘のようにそんな痛みは消えてしまいます。

また、それだけでなく、人とのやりとりで孤独感を感じた時に同じことをしています。

心にオリジナルに返すことをしてもらうことで、前よりもさらりと生きられるそんな気がしています。

 

⚪︎そういう時は、次の言い方で支配者からもらった感情をオリジナルに返す

「心よ、この感情をオリジナルに返してください。オリジナルに返したら教えてください」