恐れは最大のチャンスなのかもしれない。
支配から逃れようとして、支配が緩んでいろいろな症状がよくなってくると、支配者はありとあらゆる手を使って、自分の力の範囲内から自分の獲物が出ていかなようにする。
恐れもそのひとつだ。
何度も書いているように、支配者はものまねが上手だ。
本人の声のふりをして1人称でささやいてくる。
「何をやってもムダだ」とか「私のことをわかってくれる人なんてこの世にひとりもいない」、あるいは「私は殺されるかもしれない」ということまで。
そうやって、私の中に最大限の恐れをかき立ててくる。
けれども、それらは真っ赤な嘘だ。
支配者は嘘をつくことしかできない。
本当のことを言うように見えても、99%の真実に1%の嘘が混ぜ込んであり、その1%の嘘という毒によって、私たちを動けないようにだますつもりなのだ。
しかし、どんなにだまそうとしても、私たちの自由意志を奪い去ることまではできない。
支配者の嘘を信じるかどうかは、私たちの自由である。
もちろん、かき立てられた恐怖はリアルであって、本当に、全身の毛の穴から汗が吹き出すほど、震えが止まらないほど怖いものだ。
あるいはこういう言い方もできるかもしれない。
よくなってきて、さらにそれ以上に進んでいこうとすると、私の前に、謎を問いかけてくるスフィンクスが現れるのだ。
スフィンクスは問うてくる。
「お前は誰だ?」
その問いは、私を揺るがし、怖がらせる。
私は一体、何者なのだ。こんなに弱くて、何もできない、どうしようもない私…
そうして、先に行く気持ちがくじけ、足が止まることもあるかもしれない。
けれど、あえて言おう。
そう思っているのは、意識の私であり、支配者によって形作られた私なのだ。
無意識の私、本来の私ではない。
だから、目を閉じ、耳をふさぎ、すべての勇気をひとつに集めて、言う。
「私は私だ」
すると、スフィンクスも恐れも幻のように消えて、ただ、目の前には遙かな地平線が私を招いているばかり。
私はそこに向かって一歩を踏み出す。