無意識さんとともに

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催眠の現象学49 リフレーミング

物語の結末は、もうフレームによって決まっているのかもしれません。

 

もちろん、物語が進むにつれて、思ってみないことが起こるのですが、それでもその思ってみないことというのはフレームを飛び越えることはないと思います。

 

ただ、ある時、ある場所で、フレーム自体が変わってしまうということがあるんです。

そうすると、物語の中で起こることというのは、前のフレームで起こっていたこととは全く違うものになるのです。

場合によって、前のフレームで起こっていたことと同じことが起きたとしても、そのことが全く違うように見えてしまうんです。

 

催眠の目的は、最初は、クライアントのフレームを利用してトランスに誘導したとしても、そのトランスの中で本人が自分の無意識によって揺さぶられ、フレーム自体が変わってしまうということなのかもしれません。

 

そのもっとも大きなフレームの転換というのは、溜池型か筒型かということだと思います。

 

何を言っているのかと思われるでしょうが、溜池型というのは、自分というのが、閉じていて、どこからか与えられる水を溜めておく池のようなものだというフレームなんです。

 

自分の中にある水を使い切ってしまえば、カラカラに干からびてもうどうしようもすることはできません。

 

誰か、水を持っている人のところに行って、水をもらうしかないのです。

 

その誰かというのが、往々にして、支配者なんですね。

 

だから、溜池型のフレームでは、どんなに自分の中にエネルギーを溜め込んでも、結局のところ、支配者から逃れることができません。

最後には、支配者のところに、頭を垂れて、エネルギーをもらわなければならないんです。

 

そうして、この溜池というのは、何を隠そう、意識のことなんです。

意識とはどんなに頑張ったところで、溜池に入るだけの限られた量しか持っていないんです。

 

対して、筒形とは、上と下が開いている筒のことです。

そんな筒を川の流れの中に入れておく、そんなイメージです。

そうすると、開いている筒の中を、次から次へと、新しい水流が無限に流れ込み、また無限に流れ出ていきます。

 

筒は、自分を閉じて、自分で自分の中に何かを溜め込もうとはしないんです。

自分を開いて、入ってきたエネルギーを、また、そのまま出していくんです。

その循環が、新陳代謝が、筒を、一瞬ごとに生かし続け、バージョンアップさせるんです。

だから、筒形というのは、『何も持たないようでも全てを持っており、全てを持っているようでも何も持たない』のです。

 

そうして、もちろん、この筒とは無意識のことです。

無意識とは、無限の力と智慧に満ちた宝物庫なんですが、覗くと空っぽに見えて、でも必要なものはその都度、その空っぽの中から出てくるのは、無意識が川の中に入れられた筒のようなものだからなんです。

 

溜池の意識から、筒の無意識へと、リフレーミングしてしまうと、全てが何もかも変わって見えるんです。