無意識さんとともに

https://stand.fm/channels/62a48c250984f586c2626e10

催眠の現象学83 無意識の言葉とエネルギー

催眠は、主に言葉を使ってするものです。

言葉によって、相手を催眠喚起し、トランスに導きます。

そうして、トランスの中で、人は無意識という鏡に映すようにして、自分の本来の姿を見るのです。

 

以前、私は、こういう『言葉による催眠』の他に、言葉を使わない『体による催眠』もあるのではないかと思ってきました。

例えば、エリクソンのハンドシェイク法という催眠誘導は、相手の手を握って、思いもよらないところで手を離すことで、相手の手は硬直状態になり、相手をトランスの中に導き入れます。
更に、催眠の祖であるメスメルは、手を当てたり、かざしたりすることで、相手をトランス状態に導いたのです。

私は、そういう興味からレイキを経験したわけです。

そうして、レイキをしたりされたりすると、眠っているのかそうでないのかわからない状態になることが多いわけですが、これは、催眠によるトランスと非常に似ていると思ったわけです。

いや、似ていると言うより、体感的には、区別がつかない同じものと感じられるのです。

それで、いよいよ、言葉の催眠と体の催眠があると確信したのです。

ところで、催眠には、無意識というものが大きく関わっています。
無意識なしでは、催眠というものはほとんど考えられないと言っていいかもしれません。

もちろん、無意識というのは、無・意識ですから、意識できないものであり、吉本先生が言ったように、これも一種のメタファーなのでしょう。

けれども、このメタファーを用いて、催眠というものは成立するような、そんなメタファーなのです。

そうして、催眠の言葉とは、単に、トランスに導く言葉というより、無意識から出てきた言葉だということができると思います。

特に、エリクソニアン催眠において、セラピストが自分自身、トランスに入ることによって、そうして、トランスの中から、無意識から言葉を発することで、クライアントもまた、無意識のトランスに導かれるという感じがまざまざとあるのですから。

これは、体の催眠でも同じなのかもしれません。

例えば、レイキでは言葉が発せられませんが、そこで伝わっていくものもまた、無意識のエネルギーであり、このエネルギーによってトランス状態になり(レイキではトランス状態になることを目的とはしませんが)、体や心のバランスが取れて、本来の自分になっていくと、そう考えることもできます。

ですから、無意識というメタファーを採用すれば(もちろん、他のメタファーでも構わないわけですが)、無意識には言葉とエネルギーがあって、いわゆる催眠は無意識の言葉を用い、レイキなどは無意識のエネルギーを用いるという物語(ナラティブ)になるのかもしれません。