催眠の祖であるメスメルは、人間は磁気のようなものを発していると考えて、手を当てたり、手をかざして、人をトランス状態に入れて病気を治療しました。
けれど、このことは科学的ではないという烙印が押され、歴史から消されたわけです。
そうして、催眠は、手を当てるということではなく、言葉によってなされるようになりました。
けれども、こういう手を使った治療は、古くは、キリストが行なっており、また、現在まで宗教の中でも(キリスト教でも新興宗教でも)行われており、
宗教以外でも、臼井先生が創始したレイキでも行われています。
メスメルは、人間の手から出ているエネルギーを磁気だと考えたわけですが、それが磁気であることが当時の科学者に否定されたわけです。
しかし、現在も、科学的には証明できないにせよ、人の手から何かしらのエネルギーや力が出ていることは、体感できるもののように思われます。
それは、誰も持っているエネルギーで、誰も自然に放出しているエネルギーです。
そうして、無色透明のエネルギーで、特定の意図を持たないエネルギーです。
無色透明で特定の意図を持たないエネルギーだからこそ、他の色々なものと混ぜることができるのです。
ちょうど、水や空気が、それ自体は色もないけれど、他のものと混じって色を保つことができるのと似ています。
だから、宗教などの独特な色とも混ぜ合わされて、そこで働くことができるのです。
宗教は、このエネルギーが働くのは、その教えや教えを信じる信仰のためであると主張しますが、そうではなく、混ぜ合わされたこの無色透明なエネルギーが、ちょうど空気があらゆる場所を満たすように、そこにも存在しているためです。
私は、この無色透明で意図を持たないエネルギーのことを、無意識のエネルギーと言いたいと思います。
無意識こそ、無色透明で特定の意図を持っていないからです。
そうして、催眠は今は言葉が中心になっていますが、無意識には言葉とエネルギーが伴うのだから、催眠もまた言葉だけではなくエネルギーを用いた催眠、メスメルが行なったようなものに帰ることもあるのかもしれないと、思うのです。