無意識さんとともに

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無意識さんの決めゼリフ

最近、無意識さんに聞くと、無意識さんがよくいう言葉がある。

ついこないだも、非常に疲れてしまって、英語の勉強も何もかもできなくなってしまった。私は元々難治性鬱だったので、この動けなくなる症状にはまだまだ恐怖を覚えるところがある。また、毎日決まって同じことができなければならないという強迫性障害的なところもあって、ついつい休んでいられず、疲れてしまう自分が何か異常な感じがして、自分を責めたくなってしまう。

イライラしてどうしようもなくなって、観念して、心に聞いてみた。

「疲れている、ただそれだけのこと。

 だから、疲れたら休む、ただそれだけのこと」

この言葉を聞いて、不思議に私の心は凪になった。

『ああ、疲れるって異常なことじゃないじゃん。人間だったら普通じゃん。疲れたら休む、当然のことじゃん』

そして、どうやら、自分が決して疲れない、疲れても休まないで動き続ける人間を超えたもの=神になろうとしていたことに気づいて愕然とする。

「人間でいいじゃん、神にならなくていいじゃん。ただそれだけのこと」

いつのまにか、無意識さんは私の口癖をマネしてくる。

私は何だかどっと力が抜けて、ただ眠り姫のように眠って回復する。

 

ところが、無意識さんがこの「ただそれだけのこと」という言葉を決めゼリフで使い出してから、不思議なことに、本を読んでいると、この同じ言葉に出くわすようになった。

フロイト」(小此木啓吾)に症例ルーシーの話が出てくる。

ルーシーという女性は、ある工場長の夫の家で子供たちの家庭教師をしていたが、不機嫌と疲労感、原因不明の匂いに悩まされ、全身の痛覚を喪失していた。フロイトは、無意識を探ることでこれがこの女性が工場長を愛しておりそれが倫理的に許されないため、その思いを抑圧しているためだと突き止める。しかし、それで症状がなくなったわけではなかった。

工場長の妻は亡くなっていたが、ルーシーがこの工場長の妻になる見込みは全くなかった。

ところが、ある日、ルーシーが晴れ晴れした顔でフロイトのところに訪ねてくる。

フロイトは、自分の見立てと反して、女性が工場長と結婚できることになったのかと思ったが、実際はそうではなかった。

「それでは、あなたの見込みはどうなりましたか?」

「私にはっきりしていることは、見込みがないことを自分で知っていることと、かといってそのために不幸になりはしないだろう、ということです。」

「それで社長さんをいまでも愛しておいでですか?」

「ええ、愛しております。でもただそれだけのことなんです。自分ひとりで好きなことを考えたり感じたりするのは自由ですから」

(「フロイト小此木啓吾 218〜219ページ 一部省略)

 

疲れる、ただそれだけのこと、人間だから。

報われない人を愛する、ただそれだけのこと、人間だから。

それを責める必要も、恥じる必要もない、ただそれだけのこと。