無意識さんとともに

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パプリカ

勧められて、パプリカというアニメ映画を見た。

他の人の夢に入り込む装置が発明されて起こって来る事件を描いたものだが(これ以上はネタバレになるので言わない、興味がある方は見てみてください)、いろいろ考えさせられた。

 

人が無意識という言葉を聞いて、まず思い浮かべる身近な現象は、夢だろう。

 

古くは、荘子の「私が蝶の夢を見ているのか、それとも蝶が私の夢を見ているのか」という言葉がある。

 

夢は私たちを独特の魔法で魅了する。

無意識という深遠な森もまた私たちを魅了する。

 

そして、夢=無意識の魔力を求めて、人は、宗教をつくり、魔術をつくり、錬金術を生み出して来たのではないだろうか・

 

この森の中に深く彷徨い込んで戻る道を失うこともあるかもしれない。

 

けれど、よくよく考えてみると、この森の薄暗闇の中で人が見る夢は、フロイトが言うように、意識の抑圧したものなのである。

 

無意識=夢とは、意識の反映であり、意識の欲望とも言えるかもしれない。

 

だからこそ、夢は暴走し、無意識は暴走し、意識と入り混じって、人は自我と理性を失うことがある。

 

だが、このパプリカで描かれているように、パプリカという無意識さんとは、夢=無意識ではない、ファンタジーではない、

 

暗い森を安全に導いて、森の向こうにある、光満ちる空=無に連れて行ってくれるものなのではないかと思う。