ぶっちゃけ、イエスが聖霊と言っているのは無意識さんのことだと思う。
そして、キリスト教の人たちも、無意識さんの声を聞くことはあると思う。
ただ、彼らが聞くのは残念ながら、ほとんどの場合、神の声と称する支配者の声であり、まれに無意識さんの声を聞いても、それをキリスト教の教えの中で解釈するのでおかしくなってしまうのだ。
と言っても、キリスト教の歴史の中で、アッシジのフランシスとかリジューのテレーズとか、あるいは、現代日本で言えば、H神父とか、無意識さんの声を聞いているとしか思えない人が出てくる。
まあ、こんなふうに書いているのは、私自身、キリスト教を卒業したのだけれど、無意識さんの声を聞いていて、
『あれ、ずっと前にもこの声聞いたことがあるな』と思うからだ。
無意識さんは、その人が何教だろうと、何も信じまいが、いつもそばにいて離れず、語りかけている。
神だからというのではない。本来の私、私以上の私だから。