無意識さんとともに

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卒業

今、「聖人A」という小説を書いているが、なかなかしんどい思いをしている。

主人公の設定は明らかに私自身とは異なっているし、主人公が経験していることも私の人生とはほぼ重ならないが、それでもキリスト教38年によって傷ついた自分のトラウマが反映していることは間違いない。

母のトラウマとキリスト教のトラウマが、私の二大トラウマで、FAPで扱われたのはこの2つだった。

そして、この二大トラウマについてのトラウマ治療は終了している。

今は、個々の事実ひとつひとつを思い出してみても、それで胸が痛むということはなくなった。

けれど、この小説を書くと、いまだにあるモヤモヤしたもの、澱のような残滓を感じる。

無意識さんは、「自分の癒しのために書け」と言われたから、これを書くことでモヤモヤ、澱が晴れていくのかもしれない。

キリスト教で、父なる神と人間の関係が親子として表されているのは、キリスト教の限界ですか?」

そのように、私はO先生に問うた。
「限界ではなく、支配です」

O先生ははっきりと答えた。
その答えが、自分とキリスト教を繋ぐへその緒を断ち切った。

そして、今、この小説を書くことで、今、自分がキリスト教からの完全な卒業を果たそうとしているのかもしれない。